読書:「人生って、早く夢中になった者勝ちなんだ!」千田琢哉

テーマ(格言)とその補足説明。
55項目を見開きで完結。

10-15分くらいで一気に読み進める。

読書は内容にもよる
時間をかければいいというものでもない。

 

さすがに10-15分で
そのときに心に残った言葉たちも

おそらく1週間後には忘れる。

なのでこうやって書き残しておく。

メモは、
忘れるためにするもの。

 

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「人生って、早く夢中になった者勝ちなんだ!」千田琢哉」

もし生涯賃金を稼ぎ終わっても、あなたは今の仕事を続けますか?

お金ではない、あなたを夢中にさせる何かを追い求めることが、人生の醍醐味なんだ!

 

すぐに儲からない仕事はチャンス。

夢中になってプロレベルの力を早くつけた者が、稼げない仕事で勝ち残っていける!

 

たくさん本を読んだほうがいいのは、夢中になれるものを早く思い出せるから。

喜怒哀楽を感じながら、自分自身と会話すれば、夢中になれることが見えてくる。

 

夢中になれるものを思い出すのは、独りぼっちの時だ。

決意するのも、覚悟を据えるのも、実力をつけるのも、すべて独りの時だからできる。

 

孤独は、「夢を実現しなさい」という神の思し召しだ。

独りだからこそ自由に時間を使えるし、好きなことに没頭できる。

 

大人の勉強は、何でもアリ。

好きなことなら苦労と苦労と感じない。努力を努力と感じない。勉強を勉強と思わない。

 

好きなことを仕事にすると、いったん年収は下がる。

高く飛躍するには、いったん身をかがめて力を溜めなければならない。

 

好きなことを仕事にして軌道に乗せると、生涯賃金は跳ね上がる。

仕事が面白いと時間を忘れて没頭できるし、クオリティも上がる。好循環で収入も増える。

 

好きなことで稼いだお金を好きなことに投資し続けるから、ますます富んでいく。

入ってきたお金をどう使うか、使わないかが、その先の人生の分岐点になる。

 

褒められたいからやっているのは、好きなことではない。

やっていることがメジャーになってしまったら、もはや夢中に生きることは終焉だ。

 

夢中になれるものに出逢えないと、嫉妬人生に終わってしまう。

夢中の対極にあるのは嫉妬だ。それは顔に顕著に現れる。

 

1万人に1人評価してくれる人がいれば、あなたはプロとして食べていける。

夢中に生きるということは、少数派の人生を選ぶということだ。

 

好きなことを仕事にしている人は、他人の批判をしない。

自分の嫌いな仕事をしている人は、愚痴や他人の批判がよく似合う。

 

他人の批判が気になるのは、好きなことに没頭していないからだ。

夢中に生きている人は、批判とじゃれ合っている暇はない。

 

夢中になると、スピードと量が伴ってくる。

その分野に向いているか否かの目利きは、成長のスピードだ。

 

1万人から無料の「いいね!」をもらうより、まずはたった1人に買ってもらう。

無料の「いいね!」を集めるより、まず1人から100円払ってもらう尊さを知ろう。

 

好きなことを仕事にしている人は、ライバルの失敗にライバル以上に落ち込む。

ライバルが落ちぶれることによって、自分の勝利の価値も下がる。

 

夢中になることは年齢と共に変わる場合もあるが、根底では繋がっている。

夢中になる対象が変わっても、それは一つのことを様々な土俵で表現しているに過ぎない。

 

芽が出ない時期に耐えられるのは、それが好きなことだから。

好きなことに夢中になるとは、プロセスを味わうことに他ならない。

 

好きな仕事は、面倒臭いことも含めて好きなのだ。

選り好みをするのは、好きなことをやっていない証拠。

 

未来より、今。

誰にもわからない先のことを考えるのは時間の無駄。この瞬間に夢中になれ!

 

天職は、恋愛と同じ。「あ、コレだ」と直感でわかる。

全身に漲ってくる「根拠のな自信」こそが、天職と出逢ったときのサイン。

 

たった一つのことを死ぬまで繰り返せるのが、夢中に生きるということだ。

本当に好きなことは、何千回、何万回と繰り返しても飽きないものだ。

 

夢を叶えたければ、お金を払うのではなく、お金を稼ぎながら修行を積む。

 

休日が待ち遠しいようでは、夢中になることには永遠に出逢えない。

夢中になって生きている人、好きなことをやって生きている人に、休日など存在しない。

 

夢中の前には、無我がある。

夢中になれることは、つねに常識のウラ側にある。常識的に夢中になることはありえない。

 

今無駄と思っていることは、成功したら全部繋がる。

無駄と思える努力の数が多いほど、何でも包み込める懐の大きな成功者になれる。

(抜粋)

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人生って、早く夢中になった者勝ちなんだ!

 

人それぞれ

最近の口ぐせでもあり
最近の思考ぐせでもある。

「人それぞれ」

本当にそうだし
そうとしか言えない。

前提条件として
世界は不平等、不公平、不均等である。

だからこそ

「人それぞれ」

 

他人と比較して
うらやんでも、妬んでも、
それは意味がない。

なんで私だけ・・・・

そもそも
不平等という前提条件を入れていない。

 

良いことも悪いことも、
いつか、どこかで、人それぞれに起こる。

他人と比較している人は、
その運の波形が自分と他人が、
イコールでないといけないと、
無茶なことを言っているようなもの。

同じ波で良い悪いが起こることはない。

 

他者と比べることも
自分の及ばない範囲を比べることも
エネルギーの浪費。

比べるのは過去の自分しかいない。

 

逆に聞きたいと思うときがある。

5年前にXさんと比較して、
すごくうらやみ、妬みすらあったとする。

じゃあその思いは
今現在もそのまま続いているのですか?と。

Xさんが状況変化したかもしれない。
自分が新たに得たこともあるかもしれない。

今という瞬間だけで、
○☓をつけたり評価したり、
一喜一憂するのはとてももったいない。

 

他者の生き方を知ることはすごく大切。
その人の人生における良いときも悪いときも。

それを自分に置き換えて
我が事のように喜怒哀楽できたり
自分の糧にしていったり。

結局は、
自分の胸に手をあててみることでしか
納得する解決はない。

自分の立ち位置は今どこなのか、と。

 

人の喜びも、人の哀しみも、
人の痛みも、人の怒りも。

わかる人でありたい。

でも人生がだぶることはない。
自分の人生、他者の人生。

 

「人それぞれ」と思えるからこそ。

より心が豊かになったり、
より他者をわかろうとしたり、
より自分を戒め切磋琢磨したり。

「人それぞれ」「他人の人生」として
認めるからこそ尊重するからこそ

「自分の人生」との
いいつき合い方ができる。

 

Wantの拡散

「自分がもっと知りたいと思っていることは
他の人も同じように思っている」

そんなことが本に書いてあった。

 

そんなもんかなあ。

同じように興味を持ち
同じように情報を集め
同じように知りたいと思っている
同じようにつまずいている

自分以外にも?!

 

そう思ったほうが
プラスに働くような気もしてくる。

自分個人のためだけなら
追究しない、極めないようなことも、

他にも知りたい人がいる、
見えないWantが潜在的にいる、

と思ったほうが、

自分自身が切磋琢磨する
モチベーションにもなるということ。

ウォンツの連鎖によって、
共有・共感が増えるならば、

そこには同志が生まれ、
広くはコミュニティとなっていく。

 

大切なことは、

自分自身が妥協しないこと
見返りを求めずに損得で進めないこと
自分個人が学べただけで御の字とすること

 

40歳社会人折り返り地点

40歳にもなると
立派なおじさん。

そう思うかもしれない。

でも社会人人生としては、
仮に20歳から60歳まで働くとした場合、

40歳という地点は
やっと半分である。

つまり
40歳は社会人折り返し地点になる。

 

そう思うと・・・・

働くって結構長い。

当たり前だけれど
平均寿命を80歳としたときに

20歳から60歳まで
40年、人生の半分を働くことになる。

 

40年間、
どんな仕事をするか?
どんな社会貢献をするか?
どんなことを学ぶか?
自分のなにを捧げるか?

ほぼ人生を決定すると言ってもいい。

 

でも、
40歳ではまだ折り返し地点にすぎない。

残り半分の猶予がある。
どうにでも変化できるということ。

 

そう思ったら、
20代30代なんて、
はちゃめちゃに尖ったほうがいい。

決して守りに入る時期ではない。

それは同じく
いろんなことにチャレンジして
いろんなことに失敗することが

許される前半戦ともいえるのかもしれない。

 

なんとなくレールにのっかても40年、
失敗で試行錯誤しながらでも40年、

時間は平等に過ぎる。
手に入れるものは不平等に差がでる。

 

おそらく60歳では悠々定年できない
今の世代では

なんらかのかたちで
65歳まで、もしくは70歳近くまで、
働く必要がでてくるかもしれない。

そう思うとさらに結構長い。

 

40歳で折り返し地点なら、
やっぱり30代はハチャメチャでいい。

やりたいことに突き進む時期でいい。

まあ40歳越えても同じことを
言っているような気もする。

まだまだ後半戦始まったばかりだ、と。

 

どんな未来をイメージしていますか

どんな未来をイメージしていますか?

と聞かれたとして。

 

人それぞれどんな回答なんだろう。

個人的には
「5年ごと」のイメージしかしていない。

今だったら
『40歳のときにこうなっていたい』という
未来へのイメージがあって

それに向かって進んでいるだけである。

 

もちろん
こんな人生でありたいとか
こんな悠々とした晩年を過ごしたいとか

人生をとおしての
夢やイメージもあるかもしれない。

 

それはおぼろげにあったとしても
やはり「5年ごと」しか考えない。

なぜなら
「3-5年」というスパンが
一番現実味のある尺度だから。

1-2年はあっという間に過ぎるし
その間で何かを成し得るには難しいこともある。

3-5年というのがちょうどいい。

 

逆にあまりに長期にみても
意味がない場合が多々出てくる。

どうしても一個人の想像の範囲なんて
たかが知れている。

10年前にスマホが手放せない現状を
15年前に本屋がネット通販に脅かされることを
20年前に世界とネットで繋がることを

予測できた人がいるか、という話に近い。

10年もあれば、社会も生活も、
大きく様変わりする。

 

だから現実にそくした目標や夢を
イメージするには無謀すぎるとも言える。

3-5年であれば、
自分の及ぶ範囲での思考が可能になる。

 

そんなこんなで
かれこれ1年前であれ3年前であれ
「40歳のときの自分」しかイメージしていない。

40歳までに
なにを DO / HAVE / BE しているか。

Do ~なにをしているか
Have ~なにを得ているか
Be ~どうありたいか

 

この未来イメージがあると
なかなか強い。

日々時折襲ってくる
障害や問題にもめげなくなる。

一喜一憂しなくなるともいっていい。

大丈夫大丈夫
いろいろあるさ
今は大変だけどそれはしょうがない
40歳でこうなっとけばいいんだから
今の状態はたいした問題ではない

そんなふうに思えてくるから
なかなか強い。

 

たまたま最近読んだビジネス書にも
「5年ごとをイメージしよう」なんて書いてあった。

やっぱり。

経営者視点としても
中期スパンが大切とも言える。

テレビに出てくるような
有名な経営者や社長たちですら
一流のプロや成功者ですら

「せいぜい3-5年くらいしか私には予測できない」
「5年すら今の社会では難しいかもしれない」

そんなことも耳にすることがある。

 

大きな志や夢とはまた別のところでの。

日々目標に向かって歩いていくための道標、
それが5年ごとの未来イメージ。