起業とは不安定な波乗り状態

起業ってかなり不安定な状態の上で
なんとか波乗りしている状態が

24時間続く。
1ヶ月続く。
1年間続く。

つまりは
辞めない限り続く。

なんとも
否応なしに
鍛えられる仕事だと思う。

 

起業をするということは
精神的にもかなり不安定にある。

一方こんな論文もある。

「皮肉なことに、精神的に不安定になりがちな人ほど、起業家になりやすい。起業家の精神状態について調査をしているリサーチャーたちが最近解明したのは、起業家になる人たちの多くはなんらかの強迫観念を持ちやすい性質にある、ということだ。一方で、それが起業家の強さも作っている。コインの裏表である。」

 

まあ、
敏感でもあり鈍感でもある。
楽観的でもあり悲観的でもある。

それが好きな人・平気な人が
起業家として続いていくということなのかもしれない。

 

自由になりたいから
幸せになりたいから

なんとなくの願望からの起業は
おそらくかなりの洗礼を受ける。

実態は違うから。

特に駆け出しや初期は
自由もない、時間もない、
あるのは孤独と不安だけ。

それを黙々と行動で払拭することでしか
精神的な不安とは向き合えない。

 

じゃあゴールはあるんですか?

ない。

そのループを繰り返すだけ。
山あり谷ありを繰り返すだけ。

そこに、
楽しさやおもしろみ、
刺激や生きがい、充実感を、
感じれるタイプの人が続いている

としか言えないような気がする。

もちろん
マイナスなことも
同じように受け止めているとして。

 

だからこそ、
向き不向きはあるのかもしれない。

いや、
向き不向きではなく、
自分を「向き」の部類に変化させていくしかない
のかもしれない。

 

やりたいことがあるなら、
やったほうがいいとは思う。

最終的には「自分の覚悟」ということ。

 

順序違いの願望 (ビジネス発想源より)

三連続
ビジネス発想源メルマガより。

自分への戒め。

 

まったくの余談だけれど
毎回投稿するテーマに即して
イメージ画像を探している。

今回のは
特に内容にあったいいチョイスだな
と満足している。

 

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【第4079回】順序違いの願望
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「自分にもっとこんな条件が備わっていれば、
自分はもっとできる人間なんだ」

という考えは、2016年初頭の今、
すぐに捨て去ったほうがいいでしょう。
「もっとお金があれば、
自分はもっとバリバリ活躍できるのに」

「もっと時間が十分にもらえたら、
自分はもっとすごい成果を出せるのに」

「もっと良い地位と環境を与えてくれれば、
自分はすごい活躍を見せられる」

などと考えてしまう人が多いですが、
そういうのは全て思い込み、妄想です。

実際に、その足りないお金や時間が手に入っても、
その次の段階の似たような苦悩をするだけです。

「できる人間」とは、
「十分な条件があればできる人間」
のことではありません。

「不十分を十分にできる人間」です。

つまり、「もっとお金があれば」と思ったら、
自分でその足りない分を作り出せる人間、
または工夫で穴埋めできる人間のことです。

誰かから条件を与えてもらったら、
そこからいきなりパワーアップするなんていうのは
自分だけの思い込みにすぎません。

自分だけが思い込んでいるから、
誰からもそれを与えてもらえてないのです。

「もっと◯◯があれば、自分はできる人間なのに」
と思い込んでいる人は、周囲の人間が、
「あいつは◯◯を与えても、どうせできない」
ときちんと理解をできているのです。

「自分はもっとできる人間なのに、
周囲の誰も分かってくれない」
と嘆いている人をよく見かけますが、
周囲の人間はきちんと分かっていて、
実際には自分だけが分かっていないだけなんですね。
そんな環境や条件を望むなら、
「与えられたら自分はできる」ではなくて、
「自分はできるから、自分で克服した」
という人間になるべきです。

お金がなければ、自分でお金を生み出すか、
お金がないなりの工夫を確立する。

時間がなければ、自分で時間を捻り出すか、
時間がないなりの効率を作り上げる。

地位がなければ、自分で地位を作り出すか、
地位がないなりの強みを発揮する。

環境がなければ、自分で環境を作り上げるか、
環境がないなりのやり方を築き上げる。

それが「仕事」というものです。

自分で生み出したり、
自分で工夫したりして結果を出すのが当然で、
誰かがお膳立てするものではないのです。
「もっと◯◯があれば、
自分はもっと仕事ができるのに」
と思い込んでいる人は、例えば太っている人が、

「もっと痩せていれば、
もっとダイエットを頑張れるのに」

と言っているのと、ほぼ同じことです。

泳げない人が
「もっと泳げたら、もっと水泳を頑張るのに」
掃除をする人が
「もっと部屋がキレイなら、掃除を頑張るのに」
と言っているようなもの。

いや、順序が違うでしょ、と。

まず自分でやるんでしょ、と。

自分が動いて結果を出したことで、
環境や条件が動くのです。
無い物ねだりは、子どもの時分で終わって下さい。

ビジネスの世界に生きる大人は、
無い物ねだりをしてもしょうがなくて、
無い物から何が生み出せるのかを問われているのです。

今の自分に欠けているものは何でしょうか?

そして、今から自分はその欠けているものを
どうやって克服していくべきでしょうか。

(ビジネス発想源 より)

 

売り物は品物にあらず (ビジネス発想源より)

またまた
ビジネス発想源のメルマガより。

深い。

説得力がある。

 

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【第4095回】売り物は品物にあらず
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例えば、ある町で花を売ろうとしても、
その町には花屋さんはたくさんあるとしたら、
この町では、もう花は売れないのでしょうか?

決して、そんなことはありません。

他の花屋さんよりも、かわいいブーケを作れる、
独特のアレンジメントができる、
という花屋さんにはお客様が集まるでしょう。

1時間前からでもスマホで配達を依頼できて
すぐに自宅に届けてくれるようなサービスも
また必要とされるかもしれません。

つまり、その商品がそこにはたくさんあると言っても、
売れないということはありません。

正確に言えば、商品がたくさんあっても、
「売るものは商品だけではない」
ということです。

花という同じ商品を扱っていたとしても、

アレンジメントのデザインを売る、
即時配達という便利さを売る、
ラッピングのかわいらしさを売る、
店内の毎月の花飾りの提案を売る、
生け花教室というノウハウを売る、
ガーデニングという欧州の文化を売る、
花言葉とかけた祈願を売る、

などなど、「売るもの」は「花」以外にも
いくらでもあるのです。

これらを小難しく言い表せば
ビジネスモデルやビジネスチャンスといったものに
なるわけです。
江戸時代に、滋賀県から行商に出かけた
野田六左衛門という若き近江商人は、
中山道を通って江戸に向かいました。

その途中で、上州の板鼻宿(群馬県安中市)に
到着するのですが、この板鼻宿というのは、
碓氷川の手前ということで賑わっていて、
中山道の中でも屈指の大きさの宿場町でした。

それだけにぎわっているのですから、
あらゆる品物があらゆる店に揃っていて、
普通の行商人ならば「この町にはもう、
新参者には売れるものはない」と諦めて、
商売の場を他に求めます。

しかし、野田六左衛門は、
夜に灯りとして使うろうそくを1本買いに行っただけで、
「ああ、この街でたくさん売れるものがあるなあ」
と見抜いて、ここで商いをすることに決めます。

野田六左衛門は、板鼻宿で酒屋を開くのですが、
飛ぶように売れて店は大繁盛し、
町内屈指の大富豪へとのし上がっていったのです。

でも、野田六左衛門はろうそく1本を買いに行って
「酒が売れる」と思ったわけではありません。

宿場町には既に酒屋さんはたくさんあって、
十分に街のニーズを満たしていました。

では野田六左衛門には、どんなことを見て
何が売れると気づいたのか。

それは、ろうそくを1本買いに行くと、
どの店も、1本しか買わない自分を後回しにして、
まとめ買いをする後のお客ばかり接客することです。

そんなはしたの買い方のお客はぞんざいに扱って、
取り扱い量が多いほうばかりにペコペコする。

それがこの街では当たり前の風習だったので、
「なんだ、この街には『親切』は売っていないな」
と気がついたわけです。

そこで、野田六左衛門は開業しやすかった酒屋を開き、
少量しか購入しないお客様にも誠心誠意に接し、
「あのお店はこの街では一番親切だ」
という評判が立って繁盛していったのです。
売るものとは商材そのものだけではないし、
また自分の本業とは異なる分野の商売からも
そのヒントがいくらでも得られる、

ということが分かるエピソードではないでしょうか。
自分の商売は、何を売っているのか。

商品名やサービス名だけではない、
自分たちならではの「売り物」が、
必ずどこかにあるのです。

自分たちが誇りとしている「売り物」、
そしてこれから手に入れたい「売り物」には、
どのようなものがあるでしょうか。

(ビジネス発想源 より)

 

早めの経験は (ビジネス発想源より)

「ビジネス発想源」の
メルマガを読んでいた。

説明不要、まさにである。

そして、
こうやってロジカルに
わかりやすく説ける人は
尊敬してしまう。

これが、
いざ自分が口頭ででも
人に語ろう・伝えようとすると
なかなかうまくいかない。

だからこそ
何回も読んで
咀嚼して噛み砕いて
吸収していくことが大切。

 

以下、原文を転載させていただきます。

 

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【第4104回】早めの経験は
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「やりたいと思ったことはすぐにやる」、
「行きたいと思った場所はすぐに行く」、
「会いたいと思った人はすぐに会う」、
「欲しいと思った物はすぐに手に入れる」
「参加したいと思った場にはすぐに参加する」。

そのように、すぐに行動する人は得をします。

なぜならば、すぐに経験が手に入るから、
すぐに情報が手に入るからです。

でも、それは恐らく誰にでも分かっているのですが、
問題は、この逆の人です。
「やりたいと思ったことは、いつかやる」、
「行きたいと思った場所は、いつか行く」、
「会いたいと思った人は、いつか会う」
「欲しいと思った物はすぐに手に入れる」
「参加したいと思った場には、いつか参加する」。

そのように、行動を先送りにしている人は、
「損をしている」とは思っていません。

なぜならば、経験が手に入る、情報が手に入るのが
早いか遅いかは別に関係ないと思っているからです。

だから、今経験できることに対して、
5年後に経験できたとしても、
損得は同じ、という考えを持っています。

損得は全然同じじゃありません。

例えば、海外旅行に行ったことがある人と
海外旅行に行ったことがない人を考えましょう。

「ヨーロッパには行ってみたいと思っていたので、
先月にさっそく行ってみたんですよ」

「ヨーロッパには行ってみたいと思っているので、
老後にゆっくりできたら行こうと思うんですよ」

という両者がいたとします。

老後に行こうと考えている人は、
「今行っても、老後に行っても、得るものは同じ」
と思っています。

しかし、実際はどうかというと、
今すぐに行った人は、現地のイメージが湧くから、
その後に同じ場所に行った人の話も、
同じ場所を紹介している旅番組も、
その国で生産された食品や芸術など、
様々な情報がどんどん関連づいて身についていきます。

つまり、「初めて行った」という次の段階の情報が、
どんどん入ってくるわけです。

行ったことがない人は、イメージが湧かないから、
いつまでも「初めて行った」の手前側の情報しか
自分の中に入ってこないのです。

そして、一度もそれを目にしないうちに、
その建造物がなくなった、その人が亡くなってしまった、
それは経験できなくなった、ということも出てきて、
その情報が入る機会が失われることもあります。

そうなると、そんな情報も、
後から行く人にはどうでもいい情報になって、
もう全く身に入らなくなってしまいます。
「早くやっておけばよかった」
と後悔することではなくても、
早くやらないことで損をしていることは、
ものすごくたくさんあるのです。

自分が後回し後回しにしている間に、
どんどんいろんなことが、
自分の前を過ぎ去って行ってしまうのです。

それを考えると、
経験をすぐに行った人と後回しにした人には、
圧倒的な差が生まれることになります。

これは、投資と同じことで、
「今から投資をします」という人と
「いつか投資をしたいです」という人とでは、
後回しの人が始める頃には圧倒的差がついている、
ということです。

やりたいことをやっておく、
行きたい場所に行っておく、
会いたい人に会っておく、
欲しいものは買っておく、
参加したい場には参加しておく、

という早め早めの行動は、
結局は投資と同じで、
早いからこそ自分にとってすごくプラスであり、
後回しにすればするほど損をするのです。
あなたは、2月中に、
どんなことを早めにやっておきますか?

(ビジネス発想源 より)

 

こうじゃない?こうじゃない?

人と話をしていて

「こうじゃない?」
「こうじゃない?」

というのが
あれ? 口癖かもしれないと思った。

 

これって、
もしかしたら
自分の価値観を押しつけている

押しつけるは言い過ぎにしても
自分の価値観を全面的に出している

そういうクセなのかもしれない。

 

普通はこうじゃない?
一般的にはこうじゃない?
単純に考えてこうじゃない?
こうあるべきじゃない?

 

やっぱり
自分の価値観を前提に
している言霊のように思う。

そしてそれは
自分は正しい
自分の考えは正しい

という意思が背後に見え隠れする。

 

言葉は口癖だけじゃなく
思考グセや習慣グセもつける。

使う頻度を気をつけなければ。

 

「自分はこう思うけどどう?」

「こうじゃない?違うかな?」

そんな言い回しにしたらいいのかなあ。

実践してみよう。