何事も8掛けでいい

よく上司に言われました。

「完璧を求めようとしなくていい」
「8掛けでいい」

意味や理由はいくつかあります。

 

仕事のクオリティに対して100点を求めなくていい。
80点までいったらそこでOK、次に進む。

任された仕事でも、作成する資料でも、
なんとか100点に近づけようとします。

でもそうすると、なにが起こるか。
「自己満足やエゴが発生してしまう」「スピードが落ちる」
これがリスクです。

100点かどうかは、自分だけで決めれることじゃないですよね。
それを評価したり、認めたりするのは、あなた以外の「対ヒト」です。

もうひとつは、
最後の仕上げ、つまり80点から100点に持っていこうとするのが、
一番労力も時間もかかってしまいます。

 

計画段階や、判断の時点で、100点満点はない

その判断が100点かどうかなんてわからないですよね。
「未来はわからない」のに等しいです。

だからこそ、あれこれ正しい判断や正確な判断を追及しすぎずに、
80%こうだ!と思ったら、とにかく行動してみる。

社会の変化も、時間の流れも、思っている以上に速く激しいものです。

やっと100点に近い判断ができた頃には、
もう状況が変わってしまった、なんてこともあり得るということです。

 

就職や転職も同じ

いきなり会社に100点を求めようとする。
でも、なかなかそう簡単に巡り合えるものではありません。

だったら80点、つまり8割条件を満たせば御の字。
あとは自分で補うか、違う視点や環境を取り込めればいい。

 

何事も。

ある程度行けると思ったら、決断して一歩踏み出す。
その通りにいけばそれでいいし、そうでなければ方向転換すればいい。

方向転換しながら、目指すゴールに近づいていく。
軌道修正しながら、ゴールをとらえて進んでいく。

そのスピードと努力の質量こそが大切です。

 

最初から満点を求めすぎたり、完璧主義は、
損をするかもしれませんね。

そのせいで踏み出せない一歩や、経験できないことが増えてしまうと。

 

逆に。

「これは完璧だ!」「これで100点満点だ!」と、
当時思っていたことも、

今振り返ってみたら・・・
「なんでこれを100点と思ったんだろう」と思うこともしばしば。

それは成長している証拠なので、いいことなのですが。

 

結局、そういうことなんです。
自分が思う100点なんて、たかが知れているということです。

だったら、1個の100点よりも、5個の80点のほうが、
100点 vs 合計400点

こんな考え方もできますね。
経験の量と質においては。

 

明日からやろう!を「今日の5分から!」始めてみる

よし、明日からがんばろう!
よし、明日からやろう!

今日は、いいかな・・・・。

こんな気持ちの誘惑は誰しもあります。

そして「明日」のつもりが、「明日の今日」もやらずにズルズルと。
一向にやらない、一向にはじまらない。

 

そんなときは、

5分だけ今すぐにやってみる!

 

明日からやろうと思っていたことを、5分間だけさわりでもやってみる。
肩の力を抜いて、力まずにはじめてみる。

もしくは、明日からやろうと思っていることの、
計画やスケジュール、イメージだけでも、今日の5分でつかんでおく。

とにかく、明日からスタートじゃなくて、
今日、今から少しでも何か行動をしてみる。

これって結構大切なことだなと思います。

 

私もよくあります。

今日やろうと思っていたことが、明日に延び、
そしてまた何らかの理由や言い訳を自分のなかでつけてまた延び、
気がついたらまだ「なにも始めていない」という状況。

 

「やること」には、
やりたいこと やらなければいけないこと 両方あります。

もし本当に「やりたいこと」ならば、
仕事から帰ってきても、休みを削っても、寝る間を惜しんでも、
無我夢中で取りかかります。

5分?
5分なんかじゃたりない!もっとやりたい!
というように。

それが「やらなければいけないこと」、
自分の気分があまりのらないことには、人は甘えてしまいます。

 

だからこそ。

「明日からやろう」をやめて「今日の5分から始めてみる!」

「やること」がなるべく「やりたいこと」になるように
セルフコントロールする

 

このふたつが大切なのかなと思います。

“ずっと後回しにしていたことを、力を抜いて、とりあえずやってみたら、
なんだ案外順調に進めれるじゃないか。”

“思っていたほど最初のとっかかりに苦労するほどでもないな。”

そんな感じで、頭も心も行動も軽やかになったりするものです。

 

そしてこのふたつを操れた時、自分に勝った時、
その積み重ねは、必ずいつか自分を褒めてくれます。

5minutes

そもそも世の中は理不尽で不平等

例えば、こんなことを思うことがあります。

・どうして自分だけこんな目にあうのか
・どうして努力が報われないのか

誰しもそう思います。

でも、そこにはなにかしらの期待が潜んでいるからです。

・努力すれば必ず報われる
・努力すれば必ず結果は出る
・幸運が待ち望んでいる

 

もちろんそうやって未来に期待することは大切です。
でも、それ前提であるからこそ苦しんでしまうのも事実です。

そんなときは。

そもそも人生は不平等で不公平で厳しいもの。
ラクな道などもともとないのだ。

こういう前提で臨めるようになると人生は一変します。

生きていくうえでの前提が変わるということです。

 

生きていくのはそもそも大変、
ラクをして生きられるなんてありえない、
努力が必ず報われるとは限らない、・・・

そう思うようになれば、そのつもりで行動するようになります。
自分に納得できるようになります。

世の中に期待しない。
その覚悟だけでも、人生は変わります。

 

一見、悲観的なものの見方のようですが、
根底には希望がある考え方です。

過度な期待や、安易な発想はやめて、
自分で道を切り拓いていきましょう!

そういうことですね。

 

意味のある仕事とは

とてもグサッとささる文章を目にしました。
さっそくご紹介します。

まずは、なにわともあれ、これを見てください。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「今の仕事は、大した意味がなくやりがいがない仕事だ。
自分にはもっと意味のある仕事があるはずだ」

と考える会社員は、とても多くいます。

そして、「意味のある仕事」や「やりがいのある仕事」を求めて
転職を繰り返していきます。
しかし、「意味のある仕事」や「やりがいのある仕事」は、
誰かから与えられるものではありません。

一つの仕事があって、それを
「意味のある仕事」と思うか「意味のない仕事」と思うか、
「やりがいのある仕事」と思うか「ない仕事」と思うか、
その人の考え方次第なのです。

普通の人が「意味のない仕事」だと思っていることを
「意味のある仕事」に変えてしまう人が、
次の新しい「意味のある仕事」を任せられるのです。

普通の人が「やりがいのない仕事」と感じていることを
「やりがいのある仕事」に変えてしまう人が、
次の新しい「やりがいのある仕事」を創り出すのです。
どんな仕事にも、必ず意味があります。

自分の今の仕事の意味は何なのか。
自分の今の仕事が存在している意義は何なのか。

常に考えながら仕事に取り組むようにしましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

これ、今から3年前のとある日にメールボックスに受信した、
メールマガジンからの本文抜粋です。

おそらくいつか見返しても響くと思って
メールフォルダに格納されていたんだと思います。

やっぱり、3年後の今見ても、響きましたね。

 

今の仕事に、今の環境に、限界をつくってしまったら、
もうそこから先の成長はない、ということです。

もっといい仕事を任せてもらったら?
もっといい環境を与えられたら?
もっといい待遇や権限を与えられたら?

・・・自分は「自分の最大の力を発揮できるのに」・・・・

と誰しも思ってしまうこの考え方にクギをさしているわけです。

 

これは仕事だけでなく人生にでも言えることかもしれません。

自分は世の中の役に立っていない・・・
自分は必要とされていない・・・
だから力が発揮できない・・・

そう思うのは自分の勝手ですが、決してそうではありません。

それぞれに役割があります。

だからこそ、
簡単に諦めてはいけないし、投げやりになってもいけない、
手を抜いたり、愚痴をこぼしたり、悲観的になるのもほどほどに。

 

映画やドラマの「エキストラ」だって、必ず必要な役割です。

主役たちしか存在しない物語はありません。

脇役はおろか、名前すら脚本にないエキストラまでいるからこそ、
その物語は成り立つわけです。

エキストラから始まって、脇役に這い上がって、
最後には主役にまで踊り出る!

そんな人生もまた、あっておもしろいですよね。

 

少し話はそれましたが、
「今の仕事の意味」を変えていけるのは自分自身であり、
「今の仕事」を結果と捉えずに、「先の仕事」の通過点と見れば、
その意味は大きく変わってきます。

「エキストラ」という配役は結果なのか、
いつか「主役」になるための過程、武者修行中なのか、

そういうことですね。

 

 

大前研一に学ぶ生き方・働き方 ~名言集~

これを見ている人が社会人・ビジネスマンならば、
説明の必要のない、大前研一さんです。

結構な極論もありますが、その洞察力や視点は興味深く、
ほとんどの彼の著書は読んでいます。

政治・経済・国際社会までその持論は多岐にわたるのですが、
同時に賛否両論もある方です。

 

そんななかで、やはりキラリと光る言葉、普遍的な考え方、
そんな名言たちも本のなかでたくさん残しています。

そのなかから少しご紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

誰かに答えを教えてもらうことに慣れた人間より、自分に忠実であり、自分なりの解を出せる人間のほうが生命力が強いに決まっている(『考える技術』)

途中で間違いに気づいたならば、すべてを白紙の状態にして、違う仮説に立ってゼロから考え直さなければなりません。ところが、「知的に怠惰」な人間は、このオールクリアができません(『ザ・プロフェッショナル』)

解決策を生むためには、まず自分がバイアスがかかっていない状態に身を置かなければいけない(『考える技術』)

瞬間的にいやだと思った事でも、本気でやってみると面白いと思うことが、世の中にはたくさんあるものです。それを、表面的に感じただけで「あれはいやだ」「これはいやだ」と言ってるから、やることが何もなくなってしまうのです(『Voice』2002年5月号)

人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える(『プレジデント』2005年1月17日号)

私の唯一のツールは「なぜか」である。同じ商品なのに、売れるセールスマンとそうでない人間がいるのは「なぜ」だろう。東京で売れて、大阪で売れないのは「どうして」だろう。そういうことをいつも考えていると、答えは見えてくる(『ニュービジネス活眼塾』)

いつも利用する駅の光景でも何でもいい。定点観測の対象を持っていると、それを軸にして世界を理解することができる(『ドットコム仕事術』)

勉強で私がもっとも使っているのは「足」だともいえる(プレジデント』2005年8月29日号)

「事実を検証していこう」「事実を調べよう」というのではなく、「いったん合意した仮説が正しいことを証明しよう」という動機が働いてくると、ここで事実が歪められてしまう(『サラリーマン・リカバー』)

問題解決の第一ステップは問題を正しく定義することである(『Nikkei BP net』2009年9月29日)

教えるべきは、「Googleで検索しても答えが出てこない問題をどう解くか」ということである(『日経コンピュータ』2008年3月24日号)

 

みな手探りなのだ。人生なんて、自分がわからないと思えば、他人だってわからないのだ。だったら、早めにわからないと思ったほうが勝ちだ。早めに考え始め、研究を開始したほうが勝ちなのだ。そうしていくうちに人生、人にも語れることが次第に多くなる。(『やりたいことは全部やれ!』)

「とりあえずビール」の人というのは、家に帰ると、とりあえずテレビのスイッチを入れ、野球をやっていたらとりあえず最後まで見てしまう。休みの日も、とりあえずだらだら寝たり、テレビを見たりして過ごしている、に違いない。「とりあえず」はやめなさい。これが人生を狂わせる。50歳になり、最後の瞬間に「ああ、オレの人生は幸せだった」と締めくくりたいと思っているのなら、「とりあえず」の時間をつくってはいけない。(『50代からの選択』)

目からウロコが落ちました、と言う人は多いが、ウロコが落ちただけでは不十分なのだ。スケジュールを作り、アクションを起こし、その効果が出てきたかどうか業績を評価する。(『サラリーマン・リカバリー』)

人生設計とは、突き詰めれば何にどれだけの時間を使うかという時間配分以外の何ものでもない。(『ドットコム仕事術』)

なまじ知っていることが書いてあると、それを確認しただけで頭の動きは止まってしまう。じつは「理解した」と思うことが、人間にとってはもっとも危険な状態なのである。(『考える技術』)

複雑にからまりあった出来事にどう対処するかという時、質問することによって初めて、そこに横たわる根本的な問題が明らかになります。そのうえで進むべき方向がわかります。「これって、どういうことなの?」という質問から、全てが始まります。(『質問する力』)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

結構鋭いこと言われてますよね。

ほかにもほんとたくさんあるんですが、ほんの一部のみです。

もし気になった方は上の名言を参考に、
どれか1冊、大前研一さんの著書を手にとってみてください。

叱咤激励されるかのようです。
まさに。
叱られ、諭され、導かれ。

そんな印象です。

どうも大前研一さんの言葉たちを見ていると
昔の上司たちの顔が浮かんできます。

だぶってしまうんですよね。
言動がそっくりで、その姿が鮮明に浮かんできます。

いい上司たちに恵まれたと、今でも心から思います。