24 -TWENTY FOUR- LIVE ANOTHER DAY

4年ぶりの最新シリーズ 24 -TWENTY FOUR-

今回は全12話ということでこれまでの半分。

今回もジャックはすごかった。

なんだかんだと2001年から始まった
トゥエンティフォーももうそんなに経つ。

今回くらいのコンパクトな尺でいいんじゃないかな。

といっても、事件解決と思ったら、また伏線でつづいて、、
それはお決まり。

でもストーリーはよく練られてると毎回思う。

「んなバカな!?」と思う展開がないわけじゃないが、
まああり得るなとその展開に引き込む力がすごい。

都市伝説のようなものだけど、
このドラマによって慣らしているところも多いと
言われてきたこともある。

例えば、黒人大統領はこのドラマで早い段階で登場する。

そしてその数年後オバマ政権が発足する。

アメリカ市民に違和感なく溶け込ませるというか、
そういう類の都市伝説。

爽快に一気に楽しめる24 -TWENTY FOUR-はすごい。

年収1000万円の理想と現実

おもいろい記事を見つけた。

なかなか具体的で興味深い。

でもおそらくそうだろうなとも思う。

年収1000万円

夢ともステータスとも言われる世界。

プラスなことばかり連想してしまうが、
実態としてはあながち下記のとおりで、
間違っていないと思う。

支出のベースが同じであれば、
収入分だけプラスオンされるわけだが、
持っていると使ってしまう、これサガ。

もっと言えば、
大富豪と言われている人たちは、
個人ではなく会社として資金や資産といった、
大きなものを回している。

支出も個人のポケットマネーではないからこそ
あれだけ贅沢な使い方ができる。

労働による格差ではなく資本による格差社会。

労働による、つまり労働賃金による成り上がりとは
たかがしれている世界。

先祖代々受け継がれる、または切り拓いた、
資本の継承による資産増大が一番リターンが大きい。

このことは最近話題の700ページにも及ぶ本
「21世紀の資本」(ピケティ著)でも扱われている。

相続、土地、不動産、株、、、
いかに資本を回して雪だるま式に大きくしていくか。

億万長者になりたいのなら、
まずスタートをここから考えるべきだろう。

つまり現代社会において
年収300万円であれ、年収1000万円であれ、
日常生活において”見えている世界が大きく違う”ということはない。

身のたけにあった生活をすることである。

もし収入から、”違う景色”が見れるとしたら
おそらくそれは年収2000万円以上だろう。

たしか割合としては0.4%だったかな、そのくらいしかいない。

それでも、この年収2000万円も分解すると、
もろもろ引かれるものも多く、
月収に換算すると150万円にも満たないだろう。

実質的な手取りで100万円以上を得たいのであれば、
年収1000万円では難しく、
年収2000万円近くでやっと手に入る世界。

ま、ここまでくると、
なにを目的にその年収世界を目指すのか、
なにを代償にその年収世界を目指すのか、

ということになってくるような気がしている。

 

だから、少し戻るが、下記記事から見ても、
高所得者から税金を増やすことなど、本来視点が違うとも思う。
その線引きが1000万円というのも。

労働賃金による加税よりも、
資産による加税のほうが、あきらかに現実的だし効果的。

今のやり方は、いわゆる年収1000万円クラスも含めた
中所得者層をうすーく広げるようなもの。

それがいいのか悪いのか。

話が脱線した。

 

実態や知識を得ることで、
夢と思っていた世界が崩れ去るのと同時に、
現実と諦めていた世界に夢や希望が見いだせる。

下記記事はそんな内容です。

 

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★夢のステータスの「年収1千万」

不景気が続く中、サラリーマンの平均年収は400万ほど。年収300万円以下の人は全体の40%ほど。

一方で、年収1000万以上の割合は、ほんの数パーセント。世間では、『勝ち組』のイメージ。

年収1000万はある種のステータス。ある結婚相談所では、女性から最も人気のある男性の条件は、「30過ぎで年収1千万円、安定した職業」の男性たちだ。

若くして、年収1千万を達成できる職業は数少なく、30代あたりでは医師、弁護士、大手金融、大手マスコミ、総合商社など。世間では『エリート』と呼ばれる人々だ。

世間一般の年収1000万円の生活のイメージは、「高級車を何台も持っている」、「高級な店の常連」、「牛丼屋に行かない」など。

しかし、世間のイメージと異なり、年収1千万の生活は「実はたいしたことがない」という本人達の声がある。

中には、年収1千万にも関わらず、『貯金が無い』『生活が苦しい』という人が多数いるという

 

★なぜ、年収1千万なのに生活が苦しくなるのか?

原因①
年収1千万円で、税金額が大幅に上がる

年収が上がれば上がるほど、税金などの負担が増えるが、その負担増の「境界線」が『年収1千万』。

300から1600万円の給料のなかで、100万円増加した時に一番割に合わないのが年収が900から1000万に上がるとき。増えた100万円の51.8%が税金で消えてしまう。

さらに、2011年から2016年の5年間で60万円もの手取りが減ることになる予定だ。

原因②
年収1千万円では、手当や制度が受けられない

2017年からは年収1千万以上から、所得税の増税が待ち受ける。さらに、教育関連の児童手当(年収960万円まで)や高校無償化(年収925万円まで)の制度が受けられない。

また、大学で多くの人がお世話になる『日本学生支援機構』の奨学金も無利子の第一種奨学金は受けられない。

原因③
年収1千万円の世間のイメージに騙される

税金も重くのしかかることもあり、実際の年収1千万の層の生活は、ちょっと背伸びしたり、油断するとすぐに生活が苦しくなる

年収月あたりの手取り額をみると、年収600万円で月に約31万円。年収1000万円で約47万円。児童手当がもらえないことを考えると、その差は16万円。住宅ローンや学費でその差額はすぐに埋まる

にもかかわらず、年収1千万という『ステータス』を感じ、「見栄消費」によって、生活が苦しくなるパターンがある。

年収1千万円の人は、400~600万円の人に比べると『お金持ち』への憧れが高く、過剰な消費に走っている。年収400万の人に比べて、エンゲル係数が高いというとんでもないデータがある。

また、「少しお金に余裕ができたから」といっては、湧き上がる欲にまかせて買い物を繰り返す。その結果、教育費や住居費を除いた月の生活費が40万円以上という家庭も多い。

特に、特に40代で大企業に勤め、奥さんが専業主婦というパターンが一番危ないという。このタイプの家庭で必須となっているアイテムは、海外製ベビーカー、高級鍋、ウォーターサーバー、こだわり家電などである。塵も積もれば山となる例だ。

また、専業主婦の奥さんにも危険が潜んでいます。家計を丸投げしている旦那さんが真面目に働いているのに、見栄のために高級外国車に乗り、子供を私立の学校に通わせるなどして、貯金がゼロの場合がある

金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査」によれば、年収1,000万円以上の家庭でも約1割が貯蓄ゼロな一方で、年収300万~500万円の家庭でも約3割が1,000万円以上の貯蓄があると判明。

★実は1千万円の生活は、実は少し『ゆとりがある程度』

世間の『高級車を買っている』などのイメージとは違い、実際の年収1千万は思っているほど裕福な生活ではない。年収1000万と500万では基本的な生活レベルは変わらないという。

年収1千万円ではそこまで裕福ではなく、裕福と言える年収レベルは実は3000万円クラス。にも関わらず、世間のイメージを真に受けて生活レベルを上げると生活が一気に苦しくなる。

また、年収1千万円の人は仕事面での代償が大きい。仕事の量は激務で体を壊す人もおり、ストレスも多い。

実際の1千万円プレーヤーたちの声を聞くと、不満が渦巻いている。転職サイトのアンケートでは年収に満足している人は51%と、約半分にとどまる。その理由は職場環境の過酷さだ。

さらに、生活レベルを上げてしまった甘い生活を「フツーの生活」と錯覚してしまい、年収のダウンや、過酷のために仕事を辞めても以前の生活水準に切り下げる割り切りができなくなる。これが最悪の事態かもしれない

★年収1千万に関わらず、しっかりとお金の管理をすることが大切

年収1千万は、いわゆるプチ裕福層。人によっては、年収300万円の人よりも貯蓄額が少ない人も意外と多い。この違いは、お金の管理ができてるか、できてないか。

夢の年収1千万の人ですら、夫婦共働き・高額商品は買わない・生活レベルを昔のままと、家計管理をしっかりと行っている人は多い。

どんな年収の層でも、年収を上げるために努力することは大切だ。しかし、高収入なのに生活が苦しい、いわゆる『高収入な貧乏』にならないためにも、お金の管理はそれ以上に大切。

出典元:貯金ゼロに生活が苦しい?“年収1千万”の現実と世間のイメージが違いすぎる NAVERまとめ

 

アメリカからのレンタル中古CD

どうしてもほしいCDがあって。

それが調べたら廃盤。
しかも輸入盤しか出ていない。

日本でも中古CDはあったけれど
2万円近くもする。

うーん、高い。

希少性もあるのかもしれないけれど
そのCDはBOXで10枚セット。

アメリカから中古を買った。

中古ということしか頭になかったから、
送られてきた商品になぜか新鮮味。

そこにはレンタルCD用のシールが
いろんな種類貼ってあった。

そっか、レンタルCDとして使われていた中古だったんだ。

それは別にいい。

ただ、
そっか、アメリカにもレンタルCDとかあるよな、
と改めて思った次第。

てか、
日本よりも先手だったことは改めて言うまでもないが。

日本のレンタル中古CDであれば、
ペタペタ貼りやがって!と思うけれど、

それが海外のものだと、
なんか味があるな、雰囲気あるな、とか
思ってしまう、不思議な感覚。

日本で買うよりも半額以下で買えたので
ほしいCDがゲットできてよかった。

もちろん送料も含めてだったので
お買い得だったと思う。

もともと定価はいくらだったんだろう。

ブックレットも分厚いのがついてたけど
全部英語かー。

読めないし、読む気もないけれど。

ゆっくり聴こう。

 

つぶろく:年明早々高熱

年明け早々に高熱にうなされる。

あまりに急な高熱だったので
インフルエンザかとも思ったが
診察の結果そうではないらしい。

正月期間いろいろな場所で
菌をもらってしまったのだろう。

 

個人ビジネス最大のリスクは「健康」である
と前にも書いたことがあるが、まさにその状態。

こちら ⇒ 個人ビジネス最大のリスク

最低限の業務はこないしている日々。

 

まあマイナスに考えれば、
新年早々、スタートダッシュなのに、
計画通りにあれこれ進まない、となる。

でもちょっとほっとしたところも実はある。

最低限の日々業務をこなすということが、
あながちそう多くないというか、
たくさんあるけれどコントロールできない範囲ではない。

どういうことかというと、
いつもはあれもこれもとTODOをつめ込み、
なんだか追われているような感覚になるけれど、

いざそれができない、制限がかかった状態になると、
「必ずやらなければいけないTODO」は
おのずと絞られてくる。

結果、それでも最低限はまわるのである。

もちろんいつもつめ込んだTODOのそれは、
未来のイメージや未来の結果をつくるためのもの。

今だけ(最低限)をこなしていてもダメ。

 

そんなこんなで病気のおかげで、
TODOの整理整頓ができたような気もする。

行動の断捨離、気持ちの断捨離といったところか。

何事も抱えすぎるのはよくない。
捨てるところから始まるのである。

 

早くこの菌も捨ててしまいたい。
体の節々が痛い。

風邪が治ったら、まさに身も心も晴れやか。
心機一転でがんばる所存。

弾丸長野!

イベントで長野まで。

博多-名古屋(新幹線)-長野 計6時間半。

イベントもその後も満喫。

長野-新大阪(夜行バス)-新大阪-博多(新幹線)

早朝から動いて、バス移動泊という、
1泊2日なのか、ほぼ丸1日なトンボ帰り強行。

台風から逃げるように影響もうけず。
ヒヤヒヤだった。

行けてよかった。
行ってよかった。

そして翌日?午前中には帰宅したので
また普通に仕事開始という日常生活へ。

そんな強行弾丸日程でも、
行けるんだといい意味でタガが外れた。

大切な記念の1ページ。