オノマトペは音の爆弾だ! ~NHK「クローズアップ現代」より~

先日NHKクローズアップ現代にてオノマトペが特集されていましたね。

オノマトペとは、日本語で言う擬音語・擬態語のことです。

今このオノパトペがスポーツ指導・新製品開発・医療カウンセリング・ロボット人口知能など
様々な分野で注目されている、という内容でした。

以下、その番組内容にそってご紹介します。

 

例えば、笑い方を表現したオノマトペには
どういったものがあるでしょう。

あはあは あはは あはっ いひいひ いひひ うはうは うひゃうひゃ うひょうひょ うふっ
えへっ がはは がはがは くすり くすくす くつくつ くすっ けたけた げへへ げらげら
ころころ にこにこ にやにや にこり にやり にたり にたっ にこっ にやっ にっ
へらへら わはは etc…

それぞれどんなふうに笑っているのか、なにをもって笑っているのか、
その情景までがわかるようですね。

・普通の言葉とは比べものにならない程の情報量を持っている
・短く直感的に表現できる
・なんとも言えない感触や感覚をいとも簡単に表現・イメージできる
・そこに凝縮され、引き込まれるパワーを持っている

まさに『音の爆弾』、それがオノマトペです。

 

食品業界では最近魔法の言葉と言われているのが『もちもち』。

このオノマトペを使った商品は
通常の5倍の売上効果があるとも言われています。

実際、食品業界キャッチフレーズランキング(2012年)では
1位:もちもち
2位:ジューシー
3位:もっちり
4位:サクサク
5位:とろける
6位:ホクホク
7位:サクッと
8位:コシのある
9位:とろーり
10位:口当たりがよい

ほとんどがオノマトペで占めていることがわかります。

おもしろいところでは、国会におけるオノマトペの使用回数。
20年前の1990年は14,853回だったのが、
2011年は38,460回 と実に2.5倍。
(誰が調べたんだか・・・)

そこまで社会に定着している、ということですね。

またスポーツ指導の現場でも、
「ぐいぐい」「ぐいっと」などオノマトペを効果的に用いることで、
論理的な言葉にすると、生徒が理解しずらい膨大な情報やイメージを、
共通認識として的確に伝えることができる、と。

医療のカウンセリングでは、患者が表現するオノマトペによって、
患者の個別症状やニュアンスをどう的確にくみとれるか、など。

こんな内容でした。

 

とにかくいろんな分野で、
このオノマトペは浸透し発展し活用されているようです。

今やコミュニケーションには切り離せない言葉となっているわけです。

個人的ですが、オノマトペというか擬音語・擬態語などというと、
アニメ文化やオタク文化に代表される、
とある一定のコミュニティーのなかでしか通用しない共通言語かな、
なんて思っていましたが、
実際に見渡してみると、オノマトペを口にしない日、オノマトペを見ない日なんてないじゃないかっ!
というくらい本当に一般社会に定着しているんですね。

オノマトペって、セールストークやセールス文章など、
キャッチフレーズとしても効果大ですね。

普段の論理の言葉と、このオノマトペの情感の言葉、
そのバランスが大切です。

この梅雨の時期、今日の雨は・・・
ザーザー しとしと じとじと ぱらぱら じゃーじゃー ぽつぽつ ぽたりポタポタ ぴちょん etc…

あなたの街ではどんなふうに降っていますか?

これを論理の言葉で言うと
例)ザーザー
→ バケツをひっくり返したような 地面に叩きつける 粒が大きく視界が遮られる 傘が役に立たない etc…

こんな感じになってしまうということですね。
改めてこのオノマトペの威力を“ふむふむ”と理解した次第です。

オノマトペは音の爆弾だっ!
onomatopoeia is a sound bomb!

 

1920年代が気になっている

1920年代。
それは第一次世界大戦の終焉によって迎えた時代。

この戦争によりヨーロッパが疲弊するなか、
アメリカが一気に世界の中心に躍り出た時代。

アメリカ空前の好景気によって、
世界ではじめて大衆社会が生まれた時代。

商業的にも映画館の急増とブロードウェイの繁栄、
スポーツの発展により、
マスメディアによるヒーロー・ヒロインが誕生しはじめた時代。

ニューヨークのエンパイアステートビルがそびえ立った時。
以降40年間、世界一の高さを誇ったこのビルに代表される、
アメリカの経済発展、アメリカ合衆国の象徴ともなったニューヨーク街。

そして、1929年ウォール街のパニックをきっかけに世界各国を襲った世界恐慌。

第一次世界大戦の終焉にはじまり、
世界恐慌の引き金によって終わる、
まさにアメリカのヒステリックなまでの発展と狂乱の時代。

それが1920年代です。

(だいたいこんな感じだと思います。浅い知識にてこの辺で。)

 

なぜなのか自分でも理由はわからないところもあるのですが
今この時代が気になっています。

そんなタイムリーな好奇心を満たしてくれそうなのが、
1920年代を生きた作家による自叙伝的な小説
スコット・フィッツジェラルド作「グレード・ギャツビー」

彼自身の代表作でもあり、アメリカ文学を代表する作品です。

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フィッツジェラルドの作品は、日本語訳が村上春樹のものが多く、
その翻訳としての評価も高いようです。

文学的な見識や知識はないので、
とにかくこの気になっている1920年代という時代に
触れてみたいなあと。

おそらく今じゃ考えられない、
日本のバブル規模でも考えられないような、
ある意味ドラマチックな世界なんだろうと思っています。
繁栄と暴落の狂乱時代、世界も街も人も。

これからゆっくり読んでみたいなと思っています。

 

ちなみに、この2013年6月14日から、上の小説を原作とした
映画『華麗なるギャツビー』 出演:レオナルド・ディカプリオ 公開です。

予告編をやってましたが、きらびやかな世界ですね。
当時のニューヨークの街や風景も再現されていて、気になりました。

ファッション、インテリア、ジュエリー、建造物、街並み、流行り、音楽、
いろんな時代背景をうまくスクリーン中で再現しているのも映画の魅力ですよね。

 

ついでに。
スタジオジブリ作品 宮崎駿監督 『紅の豚』
この作品の時代背景も“1920年代~1930年代前半のイタリア”です。

世界恐慌真っ只中のイタリア、アドリア海を舞台に、
空賊(空中海賊)と賞金稼ぎに生きるものたち。

なんなんですかね。
戦争によって飛行機を中心とした工業が
世界的に急速発展すると同時に
古きよき時代、ノスタルジーや、男のロマン、女性の社会進出。

おそらく世界各国でめまぐるしく時代が変化していった時期だと思うんですよね。

抑えきれない持て余すくらいのエネルギーがあった、人も街も世界も。
それが1920年代という時代なんですかね。

いろいろ派生してたら長くなってしまいました。

ちょっと今の時点では、気になってる範囲での浅はかな知識なため、
また「グレート・ギャツビー」を読み終わったくらいの時に、
思いや考えをまとめられたらなあと思っています。

時代を紐解く嗜み、ですかね。

 

TVドラマ「遅咲きのヒマワリ ~ボクの人生、リニューアル」 ナレーション全話

フジテレビ系列TVドラマで2012年10月-12月に放送されたドラマ
『遅咲きのヒマワリ ~ボクの人生、リニューアル』

このたびレンタル開始されたので、再度見なおしてみました。
なんで一度見たドラマをわざわざもう1回見なおしたかって。

内容も確かにまあおもしろかったけれど、
主題歌もMr.Children『常套句』だったけれど、
それよりもナレーションの言葉がずっとひっかかっていたから。

ドラマのストーリーはタイトルにあるように、
20代後半の若者が、それぞれの道を模索していく内容で、
今まで生きてきて自分はまだ花開いたことがない。

つまり、20代後半のこれから遅咲きであっても
花開くことに希望を抱き、という内容。

毎話、エンディングで主人公の語りが入るんですけど、
そのナレーションがとても考えさせられる、ぐっとくる。

詩から切りとったようなシンプルな言葉たち。
少し青臭い感もありますけど描いている世代がそうだから、そこは。

それでも、どの世代にも、いつどんな状況に置かれていても、
ちょっと胸にひっかかってしまうような言葉たちです。

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【第1話】
答えは簡単に見つからない
何のために生きているのか
どこで生きるべきなのか
どこに向かって進めばいいのか
この先には、一体何があるのだろう

【第2話】
過去と向き合わなければ、先には進めない
未来が見えなければ、進む道が見つからない
今、いったい何をやればいいのだろう
先が見えない、今

【第3話】
自分が望む場所にいられるとは限らない
でも誰だってその場所でがんばっている
誰かに認めてもらいたくて
誰かに必要とされたくて
誰かに愛されたくて

【第4話】
誰かを傷つけてしまったり
誰かに傷つけられたり
本当は誰かと深くつながってしたいのに
誰かと深い絆で結ばれていたいのに

【第5話】
少しずつやっていけばいい
自分のいる場所でできることを
少しずつ知っていけばいい
その町のことを 大切に想う人のことを

【第6話】
少しずつ前に進んでいけばいいことはわかっている
でもなかなか前には進めない
いつまでそんな毎日が続くのだろう
悩んだところで答えなんて見つからないことはわかっている
答えがほしいわけじゃない
話を聞いてくれるだけでいい
ただ話を聞いてくれるだけで、前を向くことができる

【第7話】
道はなかなか開かない
どうしたらいいのかわからず
一人でもがきつづけるしかない
でも誰かがそばにいてくれたらから
笑顔になれたり
新たな一歩を踏み出せることが、きっとある

【第8話】
今日という一日が明日につながっていく
今日という一日が終わっていく

【第9話】
いつの間にか出会っているのかもしれない
大切なものや大切な人に

【最終話】
きれいになんて咲かなくていい
もがくばかりで咲けない日があっていい
今いる場所でできることをやってみよう
いつか自分らしく咲ける日が来ることを信じて

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年貢の納めどき

毎年秋。
「もうそろそろ年貢の納めどきじゃない?」と友人に伝える。

そしたら
「わかった。親にお米送ってもらうように伝えとく。」と言ってくれる。
そしてその年の新米とワインなる西洋酒とかも一緒に届く。

お礼をと
「ご両親にくれぐれも苦しゅうない、と伝えといてね。」と言うと
「よろしくお伝えください。ありがとうございますって。」と
これまたうまく現代語訳して伝えてくれている。

よくできた友人です。

今日が誕生日。

こどもの日が誕生日だから、インパクトある。忘れない。
そういえば、こちらはほぼ毎年誕生日プレゼントをもらっている。

そしてよく怒られる。
「プレゼントであげたの活用してるの見たことない」・・・と。
いや、使ってますよ、大事にしまってますよ。

そしてこちらはここ数年なにもあげてないような気が。
いつかその分まとめてドーンっと、なにかあげますよ。
いろんなタイミングやいろんなお祝いなど、頃合いを見て。

そう。
本来「年貢の納めどき」って、諦める・観念するといった意味由来。
独身生活を謳歌したが、そろそろ年貢の納めどきだ、とか。

まあ、それだけじゃなくて、プラス方面では
頃合い・タイミング・機会・時機・折り なんていうのも同義語になる。

こういったマイナス面・プラス面をかけ合わせると
『腹をくくる・けじめをつける』なんて意味あいが最適なんじゃないかな、と思ったりする。

だから、今年の誕生日、そして今年一年、
どんな『年貢の納めどき』と対峙するのか。
そんな友人を見守りつつ応援していこうと思います。

いやー、なかなかいい起承転結というか、
いい結びになったと思います。

端午の節句、かしわ餅やちまきをたらふく食べてください。
ニンニン。

こどもの日というだけあって、忍者ハットリくんも今日5月5日が誕生日。

誕生日おめでとうでござるよ!
ニンニン。

 

周りを幸せにできる人

これ個人的価値観。

周りを幸せにできる人ってどんな人だろう?
周りを幸せにしたいなら?

自分の答えは、
『自分が幸せにならないと、周りを幸せにはできない』

精神論みたいになるかもしれないけれど。
自分が満たされてないと、満たされようと思わないと、余裕がないと、
周りを幸せにしたいとかしようとか、おすそわけしたいとかは、思わないんじゃないかと。

自分はいいから、あなたは幸せになってほしいからって、
なんかピンとこないし、相手にもどう伝わるのかなって思う。

自分だけが幸せになろうなんて誰も思っていないと思う。

でも、自分はいいから、周りは幸せになってほしい、
というのもなんかおかしい。

要は、本人が、幸せであること、幸せを探求していること、
そういうプラスのエネルギーやオーラが周りを巻き込んだり惹きつけるんだと思う。

だから、自分の幸せを否定している人、探求しない人、は
おそらくあわない。

幸せの定義は置いといて、実現欲・物欲・金銭欲いろいろあるけど
『満たされる 充実感を感じる』とか、気持ち的な幸せのことから。

個人的には、
最終的には、身近な・大切な人たちが幸せになってほしいから。

誤解を恐れずに言えば
まずは自分が幸せになりたい。そして、周りと一緒に幸せになりたい。

そう思う。
そういう順序というか流れなんじゃないかなあ、と思う。

あっ、別になにかがあったわけじゃないし、
誰かを想定して非難とかじゃない。

ただ、
『自分が幸せにならないと、周りを幸せにはできない』という考え方は
やっぱそうだよなあ、と。

家族・子供・恋人・友人。
大切にしたいなら、自分も大切にしないと。
守りたいなら、まずは自分の身を守れないと。
それと同じだと思う。

自己犠牲からの他者愛じゃなくて、自己実現からの他者愛。
あっ、いいこと書いた。

「みんなを幸せにしたいから、オレ幸せになるね。」
なんか清々しくでいいじゃん!かっこいいやん!
そんな感じ。

ここでやめようと思ったけど。
ちょっと深イイ話。

ちょっと深く読み込むと・・・
自分だけの幸せを求めるなら、甘えるときも投げ出すときもある。
自分が幸せにならないだけだ、誰も困らないしって。

でも、その先の周りの幸せを延長線上に想っている人は
やっぱりふんばるし、こだわるし、達成しようと、
自分がまずは幸せにならないとと思うわけです。

だから甘えないし、投げ出さないし、
自己実現からの他者愛に発展できる。

そう思うと、自分と周りの幸せって、点と点じゃなくて線でつながってる。
ってことかあ、なるほど。(と書きながら思う)

邪心なく、純粋な心で「幸せになりたい!」と声を大にして言える人に、
サウイフモノニ ワタシハナリタイ。