ちょっと調べ物があって。
ついでにこれまでストックしてきた
資料やデータたちを整理整頓することに。
整理整頓 とは
「いるものといらないものを分け、いらないものを捨てる(整理)」
「必要なものを必要なときに使える状態にする(整頓)」
【いるいらないの整理】だけだったら
時間はかからなかったのだけれど
資料やデータの内容を見ながら
ひとつひとつを整理していったので
少し時間はかかった。
その整理の中で必要な情報も確認できた。
そして
【新しいフォルダへ整頓】していったのだが
なんとビックリ!
ほぼ残っていない。
おそらく1割~2割しか生き残っていない。
100個資料があったとしたら、10~20個。
残りのほとんどは捨ててしまった。
残らなかった理由は大きく3点
- 本来必要なものではなかった(いつか使うかも!?的発想)
- 情報が古くなっていた(今使いたくても賞味期限切れ)
- 今の自分・環境には必要ない(直近の将来的にも)
整理整頓をしているなかで
こんなことを思いながらポイ。
そもそも蓄積型で大量保管していたとしても
必要なときに探せないという事態が起こる。
捨ててしまったもので、
仮に使ういつかが訪れてしまった場合、
またそのときに取得すればいい。
賞味期限切れじゃない、旬で活用できる情報を。
1年以上着ない服は捨てる。
こんな断捨離な話を聞いたことがある。
1年間着ない服なんて、
ほんとお蔵入りに等しい。
365日のあいだで一度も選んでもらえないのだから。
そして意を決して捨てたとして、
捨ててしまったという後悔は瞬間的なもの。
半年もしたら、1年もしたら、
その服を捨てたことすら忘れている。
そんな服があったことすら忘れている。
後悔すべきは捨てることよりも、
着なくなる服を買ってしまったこと。
だから何事もシンプルが一番。
いろいろな持ち物は身軽なほうが動きやすい。
余談だけれど、
個人的には読んだ本もなるべく手元には残さない。
必要な箇所はノートなどに整理し、記録し、手放す。
また見返すかもなんて、
よっぽどな専門書・事典・説明書などじゃないかぎりはない。
いい事書いてあったなーとおもう程度なら、
その箇所だけ書き写しておけばいい。
そのうち本棚に眠って、
どこにいい事が書いてあったのか、
そもそもこの本はなんでとってあるんだっけ??
となるのが関の山。
小説などはまた判断基準が異なるけれど。
そうやって手放してしまった本で、
また必要になってしまい買い直したこともある。
数回だけれど。
そういうときは、手放した自分の、
その当時の未熟さ、判断の甘さを責めるのみ。
そうやって鍛錬を積むという感じ。
だからデータも服も本も、なんでも、
平気で捨てているわけではない。
覚悟を決めて断捨離、整理整頓している。
身をきって、時間を使って、
お金を使ったものを断捨離するということは、
「二度と同じ過ちを犯さないため」でもある。
こうやって自らを研ぎ澄ませていくこともまた鍛錬なり。
いらないから捨てる。
いらなくなるだろうから買わない/持たない。
結果選りすぐりのものだけ残る。
いい循環である。
結果お金にも時間にもやさしい。
お金(買う)や時間(整理整頓する)のムダが減る。
いい循環である。