[ブログ道] トラブルが解決したら解決方法を書く

なにか困ったことやトラブルに対して
その解決方法を検索する人はたくさんいる。

自分に置き換えても、
何かあったら先人の知恵を頼りに調べるし、
見つかったとき、手引きとおりに解決したときには、

うれしくもあり感謝の気持ちが湧き上がる。

 

自分が助けてもらう側が日常的だが、
自分が助けてあげる側になれることもある。

自らがトラブルに対して解決したこと、
その解決方法をブログに書く。

同じ経験をしている人、
同じことで悩んでいる人や困っている人に、
役に立つかもしれない。

感謝する側から、感謝してもらえる側へ、
そこから一期一会のつながりが、

困っている人が多ければ多い問題なほど、
探す人は多く、結果アクセスも増える。

いろいろな可能性をひめている。

 

おそらく、
解決方法を書くということは、

「この人はこの分野に詳しいのかな」
「精通しているのかな」

と思ってくれることもあるので、

見つけたその記事だけでなく、
他の記事ものぞいてくれるかもしれない。

 

自分に置き換えても、これと同じ行動をよくしている。

解決方法を導いてくれたそのブログやサイト。
他の内容も気になって、いろいろとのぞいてみる。

そして同じ分野などで、
ほかにもこれから困ったときに役に立ちそうだな、

今現在困っている問題だけでなく、
未来に起こりうるであろう問題の解決策も、

ここをまた訪れたら安心だ。

そう判断するとブックマークに登録しておく。

そういった一連の行動。

 

トラブル解決方法を書くときには、

「トラブルの状況を詳しく書くこと」

自分と同じトラブルだ、自分と同じ環境下での問題だ、
とわかるようにするため。

またウェブ関連のことなどであれば、

「エラーメッセージをそのまま書いておく」

エラー内容をそのまま検索する人がいるため。

またはエラーメッセージやその状況を

「画面キャプチャや写真に撮る」

そうすればよりわかりやすくなる。

 

万が一、自分はこの方法で解決したけれど、
不確定や要素やあやふやな部分がある場合は、
それもそえて書いておくといい。

読んだ人に対して、
書いてあるとおりに解決しなかったとしても安心感を与えるし、
他の解決方法もふまえて参考にしやすくなる。

 

最後に。

油断してはいけないことだが、
自分もまた再び同じトラブルに遭遇するとも限らない。

そのためにノートに書き留めるように、
自分のために書き残しておくという人も多い。

つまりは自分のためであり、
それが誰かの役にも立つのなら御の字である、

くらいの気持ちで臨んだほうがいいのかもしれない。

ただし、

あまり自分の備忘録と割り切りすぎると、
内容が箇条書き、省略されすぎ、など、

他者が見ても一向に役に立たない、とならないよう、
公開するならばある一定のクオリティは心がける必要がある。

 

[ブログ道] ブログの読者像を決める

個人ブログは数字だけを追うのではなく、
読んでもらいたい人、ファンになってもらうことが大切。

具体的な読者像をイメージする。

どのような人に読んでもらいたいか。

そうすることで、その読者像を対象に、
「これはぜひ伝えたい」
「これは興味をもってもらえる」

と考える基準ができ、
ブログが書きやすくなると同時に、
ブログのカラーやまとまりもでてくる。

 

もし読んでもらいたい人が浮かばない場合は、
「未来の自分に向けて書く」と考えてみる。

あとで読み返すときのために、
興味のあること、書き残しておきたいことのストックである。

それはのちに、何か調べたいときに、
過去のストックが役に立つこともあるだろう。

過去の自分が書いていることが稚拙に見えて、
恥ずかしくなることもあるかもしれない。

過去の自分に感心して、
今の自分が情けなくなることもあるかもしれない。

それは未来の自分が、そのときの自分とは変化している、
つまり成長している証や、停滞している確認であり、

そこから励みや勇気をもらうこともある。

 

ブログは「偏り」が大切。

それはテーマであり、個性であり、
伝えたい読者を集めやすくもある。

なんでも書きたい、なんでも興味がある、
と仮に思っているとしても、

必ずどこかに興味の偏りやとんがりは発生する。

誰しも360度全方位に興味のアンテナがあるわけではなく、
ヤフーニュースのような分野網羅はありえない。

最初に書くテーマがなくて、ブログを躊躇しているとしても、
書いていけばおのずとどこかに「偏り」がでてくる。

そうやってテーマや個性が磨かれていくことになる。

 

読者像をイメージすること、
最高の読者は自分であるということ、

テーマや偏りは継続的に見てとても大切。

最初から明確なテーマや読者像があるならばどんどん肉付けしていき、
もしない場合でも、書き続けることが、次第に個性をつくっていく。

 

長年ブログを続けている人も、
何年目から突然テーマが変わっていたり、
どんどんカテゴリが増えていっていることはよく目にする。

ブログは「個性」の一部でもあるし、
人はたえず変化する。

興味や考えの変化もあれば、
環境によって変化せざるを得ないことも多々ある。

つまりブログは
「ある一定期間におけるその人の自己表現のひとつ」であり、

人格や価値観を永続的に決定するものではない。

そこが”日記のようなもの”という位置づけでもあるのかもしれない。

書くことも続けることも少し気持ちも楽になる。

 

逆説的に言えば、
「変化していく自分」が大局観としてわかっているからこそ、
「今を書き留めておきたい」という価値が生まれる。

点は線になり、
足あとは道をつくる。

道半ばで迷ったときに、不安になって後ろを振り返る。
進んできた道はどんなだったか、よかったのか。
そのときに自分の背中をおしてくれるもの。

それが”点”であり”足あと”である、
自分が書き残したものたち、なのかもしれない。

 

[ブログ道] 書き続けること

書き続けて記事の数を増やすこと。

これがもっとも原理原則であり、かつ正攻法ある。
遠回りなようで大きなスパンで見ると近道ともなる。

書き続けるととはブログの基本中の基本。

どこかで「完成」ということはなく、
書き続け、公開し続けることが、
結果ブログの存在価値となっていく。

自分を成長させ、読者を増やしていく。
そして共通の価値観やコミュニティへと発展していく。

 

それは運動による筋トレと同じ。

ひとつひとつの記事がいずれ束となり、
小さなアクセスが大きなアクセス数へとつながっていく。

記事数を増やすことは、筋繊維を増やすこと、
アクセスを増やすことは、筋繊維を太くすること、

そして継続することは、トレーニングと同じ、
筋肉をつくっていき強くしていく。

 

イチロー選手の言葉に、

「打率は変動し、自分でコントロールできない面があるが、安打数は自分の努力で積みあげることができる。だから自分は打率ではなく安打数に目標を置く」

 

これをブログに置き換えると、

「アクセス数はさまざまな要因によって変動し、一喜一憂の原因ともなるが、記事数は減ることがなく、自分の努力で積みあげることができる」

 

練習量は裏切らない。
継続は裏切らない。

それこそが自分の力となり、自信にもなっていく。

瞬間的なアクセスに一喜一憂することなく、
周りと自分を比べて尻込みするのでもなく、
着実に一歩一歩進んでいく。

必ず結果に結びつくと信じていれば心も安定する。

そして楽しんで続けられるようになる。

その積み重ねがいつか必ず好循環となり回り出す。
これまでの苦労がうそのように勝手に回りつづける。

そして次のステップが見えてくるようになる。

 

何事もスタートラインでは、
「結果目標」よりも「行動目標」のほうが効果的である。

結果は要因に左右されるが、
行動はやるかやらないか、続けるか続けないか。

シンプルである。

コツをつかんで成果や手応えを感じた次が、
「結果目標」を設定できる段階なのかもしれない。

 

Giveに徹する

情報を独り占めしてしまう人。
情報を惜しみなく出す人。

結果どちらに貴重な情報が跳ね返ってくるか。
もちろん後者である。

これは文献などでも言われているけれど
インプットしたものをそこで止めてしまわず
アウトプットすることでまた新しいインプットへ。

 

なんでそんな貴重な情報をわざわざ他者に教えるんですか?
自分だけが知っていれば独り占めできるのに。

「アウトプットすることで、共感がうまれ、
自分が知り得なかった情報を結果得る機会に恵まれる」

情報のスパイラルアップというか、
共感のスパイラルアップというところでしょうか。

 

サイトを運営している。
まさにそんなスパイラルアップな好循環が生まれつつある。

最初はノート1冊やPCエクセルにまとめるような感じで
自分の得意分野、趣味を整理しようと始めた。

そしてウェブにも整理整頓されたサイトが少なかったので、
自分の整理ついでにWeb公開というかたちでやろうと。

特定分野のサイト運営をはじめたきっかけである。

正直、まとめることが自分の最大の楽しみなので、
好きな人が見てくれればうれしい程度、
まさにGiveに徹する、Takeは期待していなかった。

それがありがたいことに、
サイト運営から約1年半、認知もされてきた。

サイトをきっかけにコンタクトをもらい
仲良くさせてもらっている方もいる。

そして世界88ヶ国からアクセスがある。
日本ではなかなか知り得ない貴重な情報を、
鮮度のあるリアルタイムな最新情報を、
いただいたりもして。

(翻訳と格闘している。。)

そうやって質量ともに有益なサイトへと一歩一歩進んでいる。

 

どうだー!オレはこれだけ知ってるんだぞー!
他に知っているヤツいればかかってこい!
すごいだろー!

そんな気持ちが全くなく始めたのがよかったのだと思う。

自分がインプットしているものを
まずは偏りはあるけれどアウトプットしていく。

そうすることで、共感してくれた他者から、
弱いところを補ってもらえる。

「あなたのアウトプットされた情報から見るに、
ここは弱いですね。ここは知らないんじゃないですか?
それについてはですね、~~」

という具合にである。

 

Giveに徹していたつもりが、
いつのまにかTakeもいただいている環境になる。

愚直にGiveに徹することで報われるか
もしくは欲しいTakeを自ら伝えておくか。

特に日も浅い、信頼度も低いうちは、
ひたむきに前者に徹したほうが、結果はおのずとついてくる。

 

自分のライフワークにしようと
長期的視野で、のんびりと捉えていたのが、
今のところの結果としてよかったのだろう。

ブログもサイトも、
個人発信のものが、他者から共感され信頼され、
かつ有益なものとして認知されるには、
3年は継続しないといけないと思う。

質、量、鮮度、そして継続。
これによってしか共感や信頼は生まれない。
とりわけ顔の見えないウェブ世界においては。

まだまだ始まったばかりだ。

主張を入れない情報源 (ビジネス発想源 より)

なるほどなー。
すごく参考になった。

 

編集者の仕事は、自己表現ではない

個人サイト立ち上げ時のルール
(1)批判をしない
(2)全部やる

自分の主張や主観を入れずに、
自分の選り好みではないすべての情報。

事実だけを淡々と伝える、
正確な情報を伝えることが第一。

面白さやキャッチーさなど、
書き手の思いは二の次。

これによって成し得るのが読者の信頼。

主観的な情報は自己主張に偏り情報として扱われず、
客観的な情報は正確な情報として信頼される。

なるほどなー。
すごく参考になった。

要は、

両方盛り込みたいサイトならば、
「主張」と「情報」の住み分けができていること。

 

 

また読み返すために備忘録として。
気になる人は、下記原文をどうぞ。

 

——————————————————–
【第3622回】主張を入れない情報源
——————————————————–
最近読んだ本の内容からの話。
メディアワークス社でゲーム雑誌の編集者となり、
編集者としての仕事を学んだ大山卓也氏は、
2000年に「電撃オンライン」という
ウェブメディアの部署に異動になった。

入稿・校了から1週間ほどしないと完成見本が
上がってこない紙の雑誌とは異なり、
書いた原稿を即公開してすぐに反響が返ってきて、
ビュー数やアクセス状況など結果が数字で全て分かる
ウェブメディアの即時生と明快さに魅了されていく。

大山氏は多い時には年400枚近いCDを買い
年200本以上のライブに行くほど音楽が好きだったが、
ウェブには自分の欲しいサイトがなかった。

現在よくある「まとめサイト」のようなものも、
当時はガジェット情報やオタク系のネタが多く、
音楽情報に特化したサイトはほとんどなかった。

大山氏は「自分にも作れるんじゃないか」と思い、
2001年10月、「ミュージックマシーン」という名の
音楽ニュースに特化した個人サイトを立ち上げる。

レコード会社やCDショップのサイト、
アーティストのオフィシャルサイトなどを毎日
大量にチェックして、気になる情報を見つけたら
それらを整理してサイト上にアップする。

それを365日毎日発信し続けていくことで、
このサイトは音楽業界からも注目されるようになり、
各企業の担当者から執筆の仕事依頼が複数来るので、
2004年、大山氏は会社を辞めた。

そして2006年2月、フリオ・イグレシアスの曲
『黒い瞳のナタリー』からその名を拝借した
「ナタリー」という音楽ニュースサイトを開始。

やがて「ナタリー」は音楽だけにとどまらず、
漫画のニュースを提供する「コミックナタリー」、
お笑いのニュースを提供する「お笑いナタリー」など、
サブカルチャーの世界の中でどんどん頭角を現していく。

そしていまや毎月2000本以上のニュース記事を配信し
月間3000万を超えるPVを獲得する
巨大ニュースメディアとして発展していった。
大山氏が雑誌の編集者時代に学んだことの一つが、
「編集者の仕事は、自己表現ではない」
ということだったという。

そのため、個人サイトを立ち上げた時に、

(1)批評をしない

(2)全部やる

という2つだけは絶対に守ろう!と
コンセプトを徹底していた。

つまり、自分の意見や主張をそこに入れず、
また流行や好みだけで情報の選り好みをしない、
ということである。

それは、社内に多くの記者を抱えるようになった
現在のナタリーでも貫かれている。

他の音楽メディアでよくありがちなのが、
例えばライブを観てそれらの記事を書いても、
「ライブ評」になっていることである。

「このパフォーマンスが素晴らしい」
「この場面でファンの心がひとつになって…」
という具合に、書き手の批評が入っている。

それに対してナタリーは「ライブレポート」で、
その現場で起きた事実だけを極力淡々と書いている。

感想や見解は読んだ読者一人一人がそれぞれ考え
Twitterやブログで書いてくれればいいことで、
ナタリーの記者は「情報だけ」を提供する。

情報を正確に伝えることが第一で、
面白さやキャッチーさといった要素は二の次。

情緒的な記述を抑え、なるべく淡々と客観性を重視し、
「書き手の思いはどうでもいい」というのが、
ナタリーの一貫したスタンスである、
と大山卓也社長は述べている。

 

▼出典は、最近読んだこの本です。
ニュースサイト「ナタリー」を立ち上げた大山氏の著作。
メディアはいかにあるべきかがよく分かる一冊です。

・ナタリーってこうなってたのか (大山卓也氏著)
http://amazon.co.jp/o/ASIN/B00NALIJTU/winbit-22/

 

朝日新聞が、過去の記事が虚偽であったことを
謝罪会見したことが話題になりました。

どうしてこれが問題視されているかというと、
新聞というマスメディアが、中立の立場ではなく
自分たちの主張を入れているからです。

そんな自分たちの主義主張を入れ込むような、
記者たちのマスターベーション的なメディアは
当然、読み手にとっては大した価値はないから、
今どんどん、新聞の需要は激減しています。

しかし、インターネットはさらにそれが顕著で、
ほとんどの人が主義主張の発信になっていて、
客観的な事実だけを伝えるメディアは多くありません。

「ブログでずっと情報発信をしているのに、
全然信頼されない」という人のほとんどが、
発信している情報が自己主張に偏りすぎで、
読んでいる人から「情報」と思われていないのです。

そのためネットは小さなメディアばかりですが、
だからこそ、素材となりうる客観的な情報だけを
発信している情報源は、とても信頼されるのです。

自分たちの言いたい主張を盛り込んだり、
売り込みたい、有名になりたいといった願望も
入り込んだりしていない、客観的な情報の提供。

そのような情報メディアを作るとしたら、
自社だったらどのようなものができるでしょうか。

ビジネス発想源 http://www.winbit.biz/