日本中がこの人の発言には
いつも注目している
北野武(ビートたけし)さんです。
新しい道徳
「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか
とてもいい本でした。
目次やお題は先日ご紹介しています。
今日は、特に印象に残った箇所を
具体的にご紹介しますφ(..)
第二章
05.インターネットで手軽に知識を得ることはできても、手軽に得られるのは手軽な知識でしかない
この頁に書かれていたことは、
思わず「たしかにっ!」と唸りました。
考えさせられることも多かったですね。
知識を得ようとする側として。
またこのブログとかもそうですが、
少なからず知識(情報)を
発信しようとする側としても
複雑に考えさせられました。
誰かの役に立つなら
自分のための備忘録
そんな理由でウェブ上に文字化することも
いい面もわるい面も
あるのかもしれない
いい影響もわるい影響も
知らぬうちに発しているのかもしれない。
現代社会ならではのセンテンスでした。
以下、抜粋してご紹介します。φ(..)
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ソクラテスは、「無知の知」といった。自分が知らないってことを知ることが、本当の知恵だという意味だ。世界は不思議だ。よく考えてみれば、なんだかわからないことだらけだ。なぜ雲は空に浮かんでいるのか。どうして人は人を好きになるのか。そもそも、人間とはいったいなんなのだ。なんのために生きているのか?自分は何もわからないってことがわかると、人間は謙虚になる。謙虚になってはじめて、人間は何かを学ぶことができる。どんなに歳をとっても、偉くなっても、自分が何も知らないってことを忘れちゃいけない。無知の知というのは、そういうことをいっているんだと思う。
しかし、そんなことをいうと、「雲がなんで浮かんでるかなんて、ネットで調べればすぐわかるよ」っていう奴が必ず出てくる。たしかに、最近は、ネットで調べれば、たいていのことが「わかる」ようになった。俺だって、そういうものを使わないとはいわない。百科事典に書いてあるのと、たいして変わらない答えしか出てこないけれど、簡単にそれなりの知識は得られる。知ったかぶりくらいはできるようになる。便利にはなったかもしれないが、ただそれだけのことだ。
ひとつの知識を本物の知識にするためには、何冊も本を読まなくてはいけない。それは今も昔も変わらない。インターネットで手軽に知識を得ることはできても、手軽に得られるのは手軽な知識でしかない。ハリボテの知識だ。知ったかぶりが増えただけのことだろう。その証拠に、インターネットの世界にはバカがあふれている。
~略~
「天下取っても二合半」という諺がある。どんなに偉くなっても、一食に喰える飯は二合半でしかないということだ。それと同じで、どんなにたくさんの情報が手に入るようになっても、消化できる情報量が変わるわけではない。最新の論文が読めるといっても、理解できなければ話にならない。インターネットにつながればなんでもできるといっても、消化不良で苦しむのがオチだ。今の世の中は、そういう消化不良がそこら中で起きている。
結局やっているのは、自分の理解力の範囲で生半可な知識を集めて、世の中に対してやたらと憤ったり、意見をしたりしているだけのことだ。パソコンにかじりついているだけで、世界が変えられるとでも思っているのか。
そういうのをスラックティビズム、怠け者の社会運動という。まあ、それは、Wikipediaに書いてあったんだけど・・・。自分は何もしないで、世の中を変えようっていうんだから虫がいい。
インターネットのおかげで増えたのは、人類全体の知識の量ではなく、自分が世界中のことをなんでも知っていると勘違いして、自分は絶対に正しいと思い込む人の数だ。何が危険といって、こんなに危険なことはない。
ソクラテスはきっと今頃、草葉の陰で笑っているはずだ。
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自分の理解力の範囲で生半可な知識を集めて・・・
自分は絶対に正しいと思い込む人の数・・・
グサッとえぐられた気分ですね。
自分自身に問うお題としても
見つめるいいきっかけになりました。
さすが最前線にいる人だけあって、
センスというか感覚というか
敏感ですよね、そしてフラット。
「最近の若者は~」みたいな
頭ごなしの穿った見方をしないところも。
この頁だけでなく
本書全体が「成人した日本人」に対して
守備範囲広く構えているところがさすが。
偏らず凝り固まらず、
心も頭も柔らかく見据えている、
こういう歳の重ね方ステキだなと思います。
読書をすることの大切さ
通じるような気がしますね。