読書:「海賊とよばれた男」 百田尚樹

言わずと知れた「永遠の0」原作者である。

「海賊とよばれた男」は、
単行本発売と同時に話題になり、

たしか本屋大賞も獲ったのではなかったか。

やっとこさ文庫化もされた。

 

内容は「永遠の0」同様、
骨太としか言うほかない。

上下巻一気に読みきってしまう。

 

実話をもとにした話で、
多少の脚色はあるものの、
ほぼ歴史小説と言ってもいい。

それは「永遠の0」も同じである。

だからこそ、
実在した登場人物たちに移入し、
史実ながら先の展開が気になり引き込まれる。

 

なんといってもキーワードは「石油」。

石油を中心にした、
大正から昭和という時代の日本と世界が舞台。

もちろんいろいろな歴史的事件、
世界情勢や戦争も、

この小説には多く記されているところも
また歴史小説の側面をもつ。

その出来事が
「石油」という視点から見ているのがおもしろい。

 

ちょっとうるおぼえだが、

「戦争中に戦艦大和や戦艦武蔵が一度も出撃しなかったのは、しなかったのではなく燃料の消費量が膨大でそこにまわせなかった」

「アメリカは江戸時代、鯨油を主流としていた。石油発掘のずいぶん前。そしてペリーが日本にやってきて開国を迫ったのは、捕鯨船の燃料補給地点がほしかったため」

「アメリカ・イギリスと、イランなど中東との石油利権が発端となった戦争と対立の歴史」

「第二次世界大戦中、日本が使用していた戦闘機用油は質が悪く、アメリカが日本戦闘機を持ち帰り自国の質の高い油で実験したところ、その性能はアメリカ最高の戦闘機を上回った」

などなど。

 

もちろんすべての因果関係は
「石油」からではないところもあるが、
なるほどおもしろい。

歴史とは複雑に絡み合ったものの結果ではあるが、
そのなかに「石油」がいたことは間違いない。

主人公は、出光興産創業者。

 

「永遠の0」しかり「坂の上の雲(司馬遼太郎)」しかり、
明治から昭和前半を駆け抜けた日本と日本人の姿は、
ほんとうに世界を席巻してきたのだと思う。

そしてそういった歴史、事実、物語を、
小説などで触れることはとても大切なことだと、

年を重ねていくたびにその想いは強くなる。

同時に、日本を築いてきた日本人に触れたとき、
どんどん感覚が遠のいていっているのも世代として事実。

 

おそらく
「坂の上の雲」を昭和時代の人が読んだなら、

よしおれたちもまたっ!と
奮い立つことが多かったのではないか。

自らもまた彼らのようにと
イメージをだぶらせ同化させる。

 

でも平成時代の人が読んだなら、
昔の日本や日本人ってすごかったんだ!と、

すごく距離がひらいてしまう。

そこには同じ日本人ではあるけれど、
時間の尺度が隔ててしまった大きな壁がある。

同化できない。

 

これはなぜだろう?
この感覚はなんだろう?

と自問自答してみるが
なかなかいい回答が導きだせない。

 

ただ、現代日本人は
あまりにも「日本の歴史」を知らなすぎる。

過去にフタをしてしまった代償、
過度にチョイスされわん曲された史実、
語り継がれなかった代償。

これは未来にも重くのしかかると思っている。

 

わかりやすく言うと、
賛否両論はあるけれど、

現政府、安部首相は、
沖縄基地問題に関して、沖縄を軽視している、とも思う。

基地のあるよしあしではなく、
その段階的な進め方や配慮の仕方において。

これは今の政治家たちが、
もう戦後世代であることは大きいと思っている。

とすれば、
これから10年後、20年後、

日本を引っ張っていくリーダーたちは、
もっと歴史認識にズレがあることを、
覚悟しておかなければいけない。

基地も領土も憲法も。

 

今以上に国民不在の、
白けた国会と核心の見えない議論。

これには国民の責任もある。

だからこそ「日本の歴史」を、
もっとあらゆる視点から知る必要がある。

 

 

『日本を誇りに思う。』

これは昔も今も
日本人としてかわらないだろう。

でも、
なにを誇りとするか、
大きく違ってきてしまったのではないかと思う。

 

未熟な自分としては
考えさせられることが多い。

 

全然関係ないけれど、
今の自分の仕事にも役立ちそうな知識が、
たくさんつまっていた。

これには思いもかけない一石二鳥になった。

 

海賊とよばれた男

 

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