読書:「自由人の脳みそ」 高橋歩

自由人、高橋歩が書いた「自由人の脳みそ」。

仕事も、夢も、遊びも、
自由に、自分に好きなように楽しむための38の考え方

いつもはインパクトのある短いキーワードやメッセージ、
そこに印象的な写真が添えられているスタイルだが、

本著は、これまでのメッセージに加えて、
それぞれ過去の膨大なインタビュー&雑談から文章を紹介、
キーワードに込められた想いがより具体的な内容になっている。

あ、あの言葉の真意はこういうことだったのか、
と初めてその意味に気づいたこともある。

少しだけ書き留める。

・・・・と思ったら具体的な話も織り交ぜると長くなった。
それでも38の中から選んだ15だ。

書くことで噛みしめ、理解度を深め、吸収して、
自分の血肉となっていけたらいいなと思う。

 

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俺が好きなことをやって自由でいられるのは、チームがいるから。そういうチームを作れているから。

みんな、それぞれが自分の「これが得意!これで勝負したい!」というところを出しあったときに、ひとつの輪が完成する。そういうチームを目指している。慣れ合いの表面的な一体感ではなく、独立した人同士がかもし出す深い一体感を求めている。「仲間とうまく調和して・・・」というのとは、少し違うのかもしれない。最高の仲間を作る一番の方法を一言で表すなら、「まず自分が、好きなことをやり続けていくこと」なんだと思うよ。俺はこういうことをやりたいと言う。そこに共感で人は集まる。俺はこういうことは得意だけど、そういうところはあまり得意じゃないんだ、とはっきり言ってしまう。そうすれば求める人に伝わり、仲間が集まる。「自分の色があるからこそ、誰かと一緒に虹が創れる」ということだ。

チームでやるのはもちろん楽しいし、言うまでもなく、仲間は大切。でも、「仲間がいないとできない」とは思わない。「ひとりでもやるぜ」という気持ちは、常にないとね。矛盾しているようだけど、「ひとりでもやるという覚悟」が、素晴らしい仲間を集めるための最大のコツなんだと思うよ。
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結果を出す人は、やっぱり、人の見てないことろで、狂ったように必死にやってる。

誰でも、なんの仕事でもそうだけど、やっぱり、やりたいことで飯を食っていくためには、それで金をもらうプロとして、専門的な知識や技術が必要なわけで、それらをがむしゃらに身につけていく姿勢やプライドが絶対不可欠だと思う。自分らしさがどうこうとか考える暇があったら、少しでも、専門的な技術と知識を磨いたほうがいい。「頑張る」とかいうと大変そうだけど、「面白い」と思っているから、狂ったようにやってしまうだけ。努力という感じではない。必要なのは、「努力できる力」よりも、「自分の好きなことを選ぶ力」なんじゃないかな。夢中になれることを選択できれば自然に頑張れるじゃん。
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「お金のリアル」というものを、しっかり逃げないで把握できれば、「じゃあ、どうする?」という方向に向かえる。

お金のことを、ポジティブでもなく、ネガティブでもなく、リアルに考えるようになった。お金のことはできれば考えたくない。しかも”ない”お金のことを。だから無意識に後まわしにしてしまいがちなんだけど、1日でも早くリアルに向き合えば、「じゃあ、どうする?」と動くための時間がそれだけ長くなるわけだ。
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「自分の人生を、ひとつの物語として見る」その視点を手に入れたとき、人生は大きく変わる。

俺は「人生80年」と設定しているんだけど、そういう視点も大事なんだ。例えば出版社を始めて、2年ぐらいはまったくうまくいかなかった。ビジネス的に見ると、「2年も赤字を生み出し続けるのはやばくない?」、「もう客観的に見たらつぶれているし、人生考え直したほうがいいよ」みたいなことをよく言われたんだけど、俺は、「別に80年のうちのたった2年でしょ。この後何年かで盛り上がっていければ80年の物語で見たときに、おいしい展開じゃん」と思っていた。最終的にうまくいったときに、「最初の5年くらい、いろいろ大変だったね~」と、いいネタになるから、全然問題ない。そう思っている強さがある。

あと、「誰の人生にも、春夏秋冬がある」という見方もある。その見方を持っているから、人生的に冬の時期でも、「大丈夫、大丈夫、そういう風にできているから。今は冬かもしれないけど、この後、絶対に春が来るし」と、なんだか元気づけられる。どんなにうまくいっていないときも、俯瞰することで、「大丈夫。いける、いける。この後うまくいって、素敵な物語になる」と、前を見ることができる。
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「何かを選ぶということは、何かを捨てるということ」そうやって割り切って生きていくと、やっぱりその方が気持ちいいなと感じるようになってきた。

大きな意味で言うと、人生に不要なものなんてないのかもしれない。でも、自分の体はひとつしかなくて、物事に対して深く向き合って考えられる頭のキャパは限られている。そして、時間も限られている。そうすると、結局、セレクトせざるを得ないんだ。だから、なるべく多くのものを、多くの人と関わっていくというよりは、なるべく狭くして、深くしたいといつも思っている。

なんでもそうかもしれないけど、バランスという言葉を使って、両方ともうまくおさえておこうとすると、なんとなく安心はするかもしれないけど、うまくいかない。だけど、バンッと片方に寄ってしまえば、「もうこっちで割り切っていくしかないんだ」と、シンプルに重心が乗る。あと、選択できる、捨てることができるということは、自信を持つということなのかもしれないね。

くだらないことで悩むのは、もうやめよう。いらいない荷物はすべて捨ててしまえ。生きていくうえで大切なことは、そんなに多くない。
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「不安定に強い」人間でいる方が、結果、安定している。

人生なんて、絶対に何か起こると思うんだ。例えば、「仕事は完璧で、もう一生の収入が保証されているから、子どもを育ててのんびり暮らそう」と言っていても、子どもが急に病気になったり、不良になったり、家のまわりが開発されて引越さなきゃいけなくなったり、なんかいろいろなことが起こる。いわゆる「安定した人生」や「計算された人生」というのは、実際はないんじゃないかな。そういう「固めていく安心・安定」みたいなものは、結構もろい気がするよ。そっちにいくと、逆に安定感がないと思う。俺は、トラブルやアクシデントみたいな「不安定」に強い人間でいる方が、安定すると思っている。不安定に慣れてしまえば、それが結果として安定しているということになるから。

子どもたちを見ていても、あいつら、世界中をたらいまわしされているから、そんなのに完全に慣れているよ。不安定にはすごく強い。ちょっとやそっとでは、ビクともしないよ。
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自分らしく生きようとするのではなく。自分らしさなんて、どうでもいいということに気づくこと。そうすると、自然に自分らしくなる。

そもそも、自分らしさというのは自分で判断するものじゃない。「それって、あゆむらしいね」とまわりが言うのはわかるが、自分で、「俺はこういうタイプなんで」と言うと、それによって枠ができてしまう。自分らしいという言葉でキャラ作りして、自分で自分を縛る鎖を作ってどうする?という感じだよな。

この間も、別の友達が、しきりに歌舞伎のことを語っていて、俺は歌舞伎なんてまったく興味なかったんだけど、話を聞いているうちに、ちょっと観に行ってみようかなと思った。これで実際に観に行って、「えっ?面白いじゃん」となったら、また新しい扉が開き、世界が広がる。もしそこで、「俺は歌舞伎とか観ない人なんで」と、キャラクターに縛られて、シャットアウトしてしまうと、新しい扉が開くチャンスなんてない。

「俺、アナログなんで」とか「デジタルなんで」とか、そんなのも良く聞くけど、マジでもったいないと思う。別にそんなのどっちでもいい。面白そうならやってみた方がいい。「一生、雑魚であれ」、キャラクターや肩書きなんかに縛られず、雑魚として学ぶ心を忘れず、新しい面白いものにどんどん出逢って、少しでも大きな人間になっていきたい。
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成功するまでやれば、必ず成功する。一度うまくいってしまえば、すべての失敗は経験と呼ばれる。

失敗にビビっていたら、なんにも始まらないよ。第一、いきなりうまくいくなんてありえない。無理に決まっている。素人が最初からできるわけがなんだから。俺の場合は、七転び八起きどころか、億転び兆起きの精神。うまくいかなかったとしても、同じ失敗をしなければいつかは、失敗のネタはそのうち満員御礼にある。そうするといわゆる、「コツをつかんだ」という状態になる。そこからうまくいき始める。そして、いつかは成功する。

あと、俺の場合、「人生でペイすればOK」と思っているのが大きいのかもしれない。例えば、3年間うまくいかなかったとする。そうすると、この3年だけ見たら確かに駄目かもしれない。だけどその経験があれば、人生トータルで見たときには、『やっぱり意味があったよな!』と思って死んでいける自分の姿が目に浮かぶんだ。だから、2、3年悪いことが続いたぐらいで落ちこむことはない。人生80年あるんだから。最初は駄目でも、逃げ出さずに、うまくいくまで粘って、最後に圧勝すりゃいいわけよ。そうすれば、失敗なんて、飲み会でのいいネタになるから。
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自分のルールを決めれば、迷うこともなくなる。逆に、自分のルールを持たない人間は、道を選べない。

自分のルールを守ることは、自分の信じる「美しさ」を貫き通すということ。俺自身が「やる」と言って始めたことだから、やらないという選択肢は俺の中にはないんだ。その「自分の美学を」というのはすごく強い。自分の価値観、自分の美学、自分のスタイル、自分の信念、自分の生きる姿勢・・・。なんでもいいから、まず自分の心の真ん中にある想いを、シンプルな言葉にして刻んでみるのがいいんじゃないかな。そこから、きっと自分が生きていくうえでのルールが生まれてくるはずだから。

ルールは従うものじゃない。自分で作るものだ。
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「常識」であったり「普通」であったり、そういうのはどうでもいい。

「常識に縛られないっていうのは、ただの自分勝手、自己満足じゃないですか」と言う人もいるけど、最初はそれでいいと俺は思っている。それが多くの人に「いいね!」と伝わらなければ、自分勝手や自己満足と言われたままで終わる。それが突き抜けて多くの人に伝わったり、喜ばれたりした場合、すべては変わる。目に見える結果が出てきた途端、まわりからの評価は、180度転換するんだ。

失敗は、「経験」と呼ばれ、わがままは、「こだわり」と呼ばれ、自己満足は、「オリジナル」と呼ばれ、意味不明は、「斬新」と呼ばれ、協調性のなさは、「個性」と呼ばれるようになる。ただオタクと呼ばれていた人も、それが突き抜ければ専門家と呼ばれる。スタートは自己満足ありき。それでいいんだ。

常識や価値観なんて、そもそもみんな違うという前提で俺は生きている。それに世の中で言われる常識も、移り変わっていっているものだから。だから、そんなものは気にしなくていいんだよ。

でも人の目をまったく気にしないというわけではない。自分が大切だと思う人の目は気にするでしょ、そりゃ。あとは、自分が最高と思うようにやるしかない。
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悪いことがあったら、「自分のせい。きっと何か変えられることがあるはず」と自分に向けて考える。

「こういう伝え方をすればよかったかな」、「自分の関わり方をこうすればよかったかな」、「あの約束をこういう感じに変えればよかったかな」と、そういう風に自分に向けて考える。そのうえで、「どうすれば次はうまくいくか」と考えて、次に向かって行く。人のせいにしたり、仲間の中で犯人探しをしていても、何も解決しない。それよりも目の前の問題をどう解決するかということに、いち早く切り替えた方がいい。

子育てにしても同じだね。例えば、最近息子の言葉遣いがひどくて問題になったときも、夫婦で話していた。息子が悪いと考えるんじゃなくて、親としてどうしていこうかを考えよう。自分がどうすれば、息子がそういう言葉遣いをしなくなるかを考えてみようって。最悪なのは、その後、世の中の話にまでいくこと。「今はそういう世の中だからね。子どもの言葉遣いが最近悪くなってきたって、本にも書いてあったよ」って。それじゃ、なんの解決もないというゴールになってしまう。

自分を変えた方が早い。伝え方ひとつとってもそう。伝えたいことが、なかなか伝わらないとしても、それはきっと、相手が悪いんじゃない。自分が相手に響くように伝えていないだけ。わかってくれないと嘆くんじゃなくて、伝えるための自分の技術を磨けばいい。俺はこの切り替えが、結構すんなりいくんだ。やっぱり「決める」という強さだよね。

他人を変えることはできないけど、自分を変えることはできる。大から小まで、たいていの問題はこの気持ちでクリアしている。
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未来のために今を耐えるのではなく、未来のために今を楽しく生きるのだ。

石の上にも3年と言っても、つまらない石の上に3年もいたら駄目だ。それをやるかやらないかというのは、3年もかけて頭で考えるものじゃない。「それって逃げじゃないですか?」と言う人もいるけど、やめるのが逃げじゃなくて、嫌なことを続けるのが一番の逃げだと、心から思うよ。本当は嫌なのに、自分をごまかして続けていく方が、逃げでしょ?

「未来のために今は耐える」という言葉は、俺がやっている行動も、表面的に見たら同じかもしれないね。睡眠時間を削って、寝ないでやっていたり、やりたいことのためにお金が必要だから、頭を下げてお金を集めたりしているから。そういうことも、浅く見れば、「それは、未来のために今は耐えているんでしょ?」と見えるかもしれないけど、俺の中ではちょっと違う。どうせやるんだという覚悟があって、やるからにはなるべく楽しくやろうよという思考なんだ。

ダイエットみたいなもんだよ。耐えてダイエットすると、結局、リバウンドして同じことになっちゃう可能性が高い。それよりは、「ま、大変なこともあるでしょ」とダイエット自体を楽しんでいった方が、結局、未来自体もよくなるというイメージだね。

一番まずいのは、未来にワクワクしようもない、よくわからないものに向かって、とにかく耐えて頑張る、みたいなもの。「なんか将来不安だから、とりあえず資格を取っておこう」というのもそんな感じだよね。

大切なのは、やるかやらないのかを自分の意思で決めること、そしてやると決めたからには、楽しくやるということだ。とにかく、難しいことをごちゃごちゃ考える必要はない。「今」をよくすれば、「未来」もよくなる。シンプルなことだ。

人生は短い。やりたくないことをやっている暇はない。
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人生設計なんて、いらない。一番大切なものをしっかり抱きしめながら、ただ、やりたいことを必死にやり続けることだ。そうすれば、人生なんて、自然にうまく設計されていくから。

自分なんて、いつ、どう変わるかわからない。だから俺は、人生の計画なんていらない。「計画をすると、計画以外のものは見えにくくなる」という人間の性質があると思うんだ。おれは「どうなっちゃうわけ?」みたいな感じを楽しいと思っている。楽しさの種類が違うということ。保障をつけることで設計していく人生に、楽しいことがあふれているというイメージがないから。

俺は『毎日が冒険』という本を書いているけど、実際は、毎日がトラブル。それを「毎日が冒険」と呼んでいる。トラブルが起きないようにやることもできる。挑戦をしないで、なんとなく形になっているものを小っちゃく守って、なるべく新しい要素を外して、でも最低限の収入が守られる、みたいなことは、おそらく簡単にできるんだと思う。だけど、やっぱり俺は、どんどん新しいことに挑戦していきたい。そして、自分を成長させたい。死ぬまで、冒険的に生き抜きたいんだ。

あと、やっぱり大事なのは、家族にも理解してもらっておくことだね。「金銭的には、生きていくことができる最低金額を下まわらないっていうことは約束するが、新しくワクワクすることが始まってくると、安定した収入や住む場所は、動くこともある」ということを、俺は妻にきちっと伝えている。

昔は妻とよくその話をしていたよ。急に貧乏になったりするから。さすがに妻は、もう20年一緒に過ごしているから、信頼してくれていて、いつも「人生トータルで結果出してね。それならいいから」と言っている。理解しているから、一緒に楽しめているという感じだね。自分の人生観というのを、ちゃんと一緒に活動する人にはシェアしとかないと。それもひとつのミッションだよね。

ただ、守るべきものだけをポケットに入れて。いつも、驚きながら、興奮しながら。感じるままに、世界中の路上を飛びまわっていたい。一生、ただの男であれ。一生、旅人であれ。
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「こうなったら、最高にハッピー」という未来のシーンを、ワクワクしながら、想像しよう。

俺の癖のひとつ。想像すること。いわゆるIMAGINEってやつね。わかりやすく言うと、特に、ふたつの角度がある。「こうなったら、最高にハッピー」という未来のシーンを想像する癖と、「俺があいつだったら・・・」と、誰かの気持ちを想像する癖。

よく、「イメージは現実化する」と言うけど、最初は成功哲学っぽくて、うさんくせぇなぁ、と思っていたけど、今は俺も実感している。「現実を引き寄せる」とか「現実が後からついてくる」みたいな言葉がすごくピンときていて。それは俺が特別に持っている能力じゃなくて、人間という生物が持っているひとつの性質だと思っている。

友人に清田益章さんというエスパーがいるんだけど、彼はそれを超能力という形で表現しているわけだよね。清田さんが超能力でスプーンを曲げるとき、「『スプーンが曲がった場面』と『それを見たまわりの反応』と『そのときの自分の気持ち』、その3つを先取りしてイメージすると、現実がついてくる、つまりスプーンが曲がる」と。

清田さんの場合は、それを3分でやるんだけど、「あゆむの場合は、それを3年でやっているだけ。自分の店をオープンさせたことも、言わば超能力。短距離走と中距離走の違いかな」と言われて、すごくピンときた。

20歳の頃、自分たちの店をオープンさせたときは、まさにそれだった。実際にオープンしたとき、パーティーも大盛り上がりで、朝になる頃、みんな帰った店内の掃除を4人で済ませて、乾杯をした。そこに、俺がずっと、思い描いていたシーンがあったのをよく覚えている。「これ、デジャブ?」と思っちゃうほど、4人の配置から、それぞれ持っているビールの銘柄まで同じで。鳥肌たっちゃったよ。まさしく、現実がビュンとついてきたみたいな感じだった。

やっぱり、人間はそういうふうな能力を持っている気がしている。スティーブ・ジョブズの本を読んでいても同じことを感じた。多くの成功者も大体、「ビジョン」という言葉でよく表現しているし。それに、宗教家はみんな例え話が上手でしょ?イメージできているから例えられるんだよね。そういう人たちはかなりテクニカルに、それを使っているのかもしれない。

「なんか面白そうだな」という感覚がきたら、すぐに想像している。「よしやろう」と覚悟を決めて、それからイメージするのではなく、「こんなになったら楽しいね。最高だね」と先にイメージして、面白そうだから、「やるぞ」と覚悟が決まっていく感じかな。

あと、みんなよく「妄想」という言葉を使うけど、俺は、「妄想」と「想像」をわけていないんだ。「なんだか実現しそうもないけど、フワフワぼんやり考えている」みたいなことを、みんな「妄想」と言っている。でも、俺はいつも実現させるつもりでイメージして、話している。「こんなになっちゃったら最高だよね」と飲み会で盛り上がっているときに、その差を感じるんだよね。「今の話、妄想と思っているかもしれないけど、俺はマジだから」というやり取りが、これまで何回もあったよ。俺の場合、どんな壮大なプロジェクトも、すべては、飲み会から始まっているよ。まぁ、飲んでいるだけじゃ、夢は叶わないけどね。
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愛しあえばあうほど、心は自由になっていく。大切なものがシンプルになればなるほど、心は自由になっていく。LOVE or FREEではなく、LOVE & FREEなんだ。

幸せというのは俺の場合どんな感じなのか?と考えたとき、極端に言えば、世界中の人が俺のことを嫌いでも、家に帰ったときに、妻が「お疲れ」と笑顔で言ってくれていれば、まずもう幸せなんだ。もちろんそれは拡大していったら嬉しいけど、それさえあれば充分なんだ。逆に、世界中の人が俺を褒めてくれていても、妻とうまくいっていないなら、俺は幸せとは思えない。

まわりを見ていても、結婚して子どもができて、絶対的な幸せを感じさせてくれるホームが確立されている人ほど、より自由に攻められているし、自由に生きられている感じがするよ。

あと、俺は「帰る場所があるから旅は楽しい」というのも、ひとつの真実だと思っている。家に帰ったらすごく幸せという安心感があるから、俺は旅をしていても楽しいし、「外にどんどん広げていこうぜ」とリラックスして、自由な感じで言えている。だから、そのホームを、ちゃんと素敵な絶対的なホームにしていこうという意識はすごく強い。

妻との関係で言うと、お互い、意識的に、積極的に伝達しあおうとしている。ふたりきりでゆっくり話せる時間も意識的に作っているしね。やっぱり、大切なのは伝えることだ。結局は、ぶっちゃけワールド。当たり前のことも、きちんと伝達して、精神的に交換する。そうやって俺は、絶対的な幸せを感じさせてくれるホームを確立しているんだと思うよ。

愛する人と、自由な人生を。
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注)
引用するにあたって2点修正している。

*著者以外、妻◯◯、息子の◯◯と名前が明記されているが省略している。これは「特定のあの人」としてしまうよりも、自分の環境に置き換えてイメージしやすくなるとも思ったから。

*言葉、文章、言い回しなどは忠実に引用している。ただし各項ごとに4ページほど書かれている。これを要約する際に、例えば登場する文章の順番を逆にしたり、文章を省略してつなげたりしている。そのほうがまとめた際に流れがきれいになるため。

本著のオリジナル原文を深く味わいたい方は、
実際に手にとって深く読み進めてみてほしい。

高橋歩 自由人の脳みそ2

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