ホリエモンの本。
堀江貴文はなぜ、逮捕され、すべてを失っても、希望を捨てないのか?ふたたび「ゼロ」となって、なにかを演じる必要もなくなった堀江氏がはじめて素直に、ありのままの心で語る、「働くこと」の意味と、そこから生まれる「希望」について。
という紹介文にあるように、騒動後、釈放後に発表された著書。
「なぜ自分は働くことが好きなのか?」という軸から、
生い立ち、幼少期、学生時代、仕事時代と、
自身の年表を紐解いていきながら、
同時に振り返り、その考え方を整理して書いていく。
自慢話や自信過剰な発言ばかりかと思っていたら
そうでもない。
地に足がついているというか、
理に適ったことを言っている。
本著タイトルを象徴している文が冒頭にあった。
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スタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。つまり、「掛け算の答え」(成功へのショートカット)を求めているあなたはいま、「ゼロ」なのである。そしてゼロになにを掛けたところで、ゼロのままだ。物事の出発点は「掛け算」ではなく、必ず「足し算」でなければならない。まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さく地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とは、そこからはじまるのだ。
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以下、
その思考のエッセンスがわかるキーワードを抜粋。
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努力するのではなく、その作業に「ハマる」こと。
なにもかも忘れるくらいに没頭すること。
経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていく。
人生の中で、仕事とはもっとも多くの時間を投じるもののひとつだ。そこを我慢の時間にしてしまうのは、どう考えても間違っている。
お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう。
儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう。
やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。
仮説を立て、実践し、試行錯誤をくり返す。そんな能動的なプロセスの中で、与えられた仕事は「つくり出す仕事」に変わっていく。
能動的に取り組むプロセス自体が「仕事をつくる」ことなのだ。
「やりたいことがない」は真っ赤な嘘だ。最初から「できっこない」とあきらめているからだ。「できっこない」という心のフタさえ外してしまえば、「やりたいこと」なんて湯水のようにあふれ出てくる。
物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。
総務省統計局の数値からみると、この国で働く人のうち「20人に1人が経営者」である。
起業によって「失うかもしれないもの」を心配するのではなく、起業によって、「得られるもの」を考える。
信用の「ゼロからイチ」は、まず自分で自分を信じるところからはじまる。
責任が発生しないうちは、ほんとうの意味での自由も得られないのだ。自由と責任は、必ずセットになっている。責任を背負うからこそ、自由でいられるのだ。
僕らにできる失敗なんて、たかがしれている。
時間とは、「命そのもの」。タイム・イズ・マネーという言葉は間違っている。お金なら増やすことも可能だ。しかし、時間だけは誰にも増やすことができない。まさしく有限の「命そのもの」であり、タイム・イズ・ライフなのである。
仕事の質は、ひとえに「集中力☓時間」で決まるものだ。
寝不足のぼんやりした頭で10時間働くよりも、集中力を極限まで高めて2時間働いたほうが、ずっといい仕事ができる。
過去を振り返っても事態は変わらず、未来に怯えても先へは進めない。かけがえのない「いま」に全力を尽くすこと。脇目も振らず集中すること。将来の自分とは、その積み重ねによって形成されていく。
情報を得ることは、未来を知ること。だからこそ、情報弱者と情報強者の間では、「未来を見る力」に決定的な差が生まれてしまう。情報に鈍感な人が損をするのは当然のことなのだ。
努力という言葉には、どうしても古くさくて説教じみた匂いがつきまとう。できれば僕だって使いたくない。でも、「挑戦」と「成功」の間をつなぐ架け橋は、「努力」しかない。その作業に没頭し、ハマッていくしかないのである。
掛け算を覚える前に、足し算を覚えよう。他者の力を利用する前に、自分の地力を底上げしよう。同じ3を掛けるでも、2×3よりも5×3のほうが大きいように、自分が2なのか5なのか10なのかによって、結果は何倍にも違ってくる。ゼロからイチへ、そしてできれば5や10へ、自分をもっと積み重ねていこう。
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学ぶことが多かった。
そしてとても懐かしくも思えた言葉たち。
過去に仕事で教わった教訓たちも
フラッシュバックしてよみがえってくる。
やはりそこには揺らがない心理、原理原則がある。