読書:「新しい道徳」北野武 -part.3-

数回にわけてご紹介しています

新しい道徳
「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか

こちら⇒読書:「新しい道徳」北野武 -part.1-
こちら⇒読書:「新しい道徳」北野武 -part.2-

 

今日も、特に印象に残った箇所を

具体的にご紹介しますφ(..)

 

第四章
04.生涯熱中できる趣味があれば、歳をとってからわけのわからない犯罪を犯す確率はかなり減る。

 

趣味のすすめでもあります。

69歳のたけしさんだからこそ

人生いろいろ説得力もあります。

 

趣味を持つことと現代社会への風刺が

とてもわかりやすく描かれています。

 

以下、抜粋してご紹介します。φ(..)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これはよくいっていることだけど、人生に目的なんてなくていいと俺は思う。道徳の本には、人生の目的を見つけろなんて書いてあるけれど、そういうことを真に受けるとロクなことにならない。会社に入ったからには、課長になって、部長になって・・・と、ねじり鉢巻きで頑張って、定年を迎えたら、やりたいことがなくなったなんて人生を送りたいならそれもいい。

~略~

よくリタイアしてから趣味を見つければいいなんていっている奴がいるけれど、そんなもの見つかるわけがない。いちばんやらなきゃいけないときに、やってないんだから。なんでもそうだが、習い始めてから本格的にそれを楽しめるようになるまでには、それなりに時間と労力がかかる。年寄りにはそんな時間も体力も残されていない。

若いときに始めなければ、趣味がほんとうに面白いというレベルに達するのは難しいのだ。絵だって釣りだってなんだってそうだ。修練を積まなければ、ほんとうの面白さはわからない。歳をとってから始めても、それこそ年寄りの冷や水になるのがオチだ。

~略~

三度の飯より釣りが好きという奴はたくさんいるけれど、そういう奴はだいたい現役時代からなんだかんだと時間をひねり出して、親だの親戚だのを何回も殺して「葬式です」なんて嘘をつきながら、海だの川だのに通っていたりするものだ。涙ぐましい努力があって、はじめて釣りが老後のほんとうの趣味になる。

いい歳をした教師が少女の裸の写真を何千枚も集めてたとか、警官がストーカー事件を起こして逮捕されたとか、妙な事件がときどきニュースになる。教師とか警官とか、そういうことを絶対にしちゃいけない職業の人間がそれをやったというのでニュースになるわけで、普通のいい歳した大人がやった似たような犯罪はもっと山ほどあるのだろう。氷山の一角というやつだ。

昔だってそういう趣味のあるいい歳した大人はいたに違いないけれど、今の世の中はそういう大人が増えているらしい。他にやることがないからそういうことに熱中する。つまり無趣味のせいだ。それが会社だの学校だのに、忠誠を尽くした結果だとしたらとても哀しい。

自分の人生は自分で楽しくしなちゃいけない。

人生の目的があるなら、それを追求すればいい。だけど、それがないなら、無理をして人生の目的を探すことなんてない。中途半端な会社人間になるのがオチだ。そんなことより、若いうちから自分が生涯打ち込める趣味を見つけておいた方がいい。人生の目的を探すんじゃなくて、自分が一番夢中になれるものを見つけるのだ。それがあれば、歳をとってからわけのわからない犯罪を犯す確率だってかなり減るんじゃないか。そういう俺も、今やオネエチャンの尻を追いかけるより、絵を描いている方がずっと楽しい。

下手な道徳を教えるより、犯罪抑止にはそっちの方がよほど効果がありそうだ。何よりその方が社会の精神性は豊かになるだろう。日本人全員が、生涯夢中になれる趣味を持ったら、経済効果だってバカにならないんじゃないか。経済効果なんて言葉は嫌いだけど。

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とても説得力ある文章で

すっと納得しました。

 

人生の目的を探すのではなく

自分が一番夢中になれるものを見つける

 

勇気づけられます。

 

その積み重ねが花開いて

結果、人生の目的だったと振り返って思う。

 

その積み重ねの過程こそが

人生の目的そのものなのかもしれません。

 

あてもなく「人生の目的」を

探し彷徨いのみ込まれるよりも、

 

今を楽しく精一杯生きる

夢中に取り組むことの連続、連鎖。

 

その先に

やみくもに探しても見つからなかった

答えが見えてくるのかもしれませんね。

 

3回にわけてご紹介した

「新しい道徳」 北野武 著

ぜひ気になった方は読んでみてください。

 

心も頭もふわっと軽くなり

今までの発想・経験にはなかった

自分の「新しい道徳」をつくるきっかけを

あたえてくれる良書です(^^)

 

北野武 新しい道徳

 

読書:「新しい道徳」北野武 -part.2-

日本中がこの人の発言には

いつも注目している

北野武(ビートたけし)さんです。

 

新しい道徳
「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか

 

とてもいい本でした。

目次やお題は先日ご紹介しています。

こちら⇒読書:「新しい道徳」北野武 -part.1-

 

今日は、特に印象に残った箇所を

具体的にご紹介しますφ(..)

 

第二章
05.インターネットで手軽に知識を得ることはできても、手軽に得られるのは手軽な知識でしかない

 

この頁に書かれていたことは、

思わず「たしかにっ!」と唸りました。

 

考えさせられることも多かったですね。

知識を得ようとする側として。

 

またこのブログとかもそうですが、

少なからず知識(情報)を

発信しようとする側としても

複雑に考えさせられました。

 

誰かの役に立つなら

自分のための備忘録

そんな理由でウェブ上に文字化することも

 

いい面もわるい面も

あるのかもしれない

いい影響もわるい影響も

知らぬうちに発しているのかもしれない。

 

現代社会ならではのセンテンスでした。

 

以下、抜粋してご紹介します。φ(..)

 

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ソクラテスは、「無知の知」といった。自分が知らないってことを知ることが、本当の知恵だという意味だ。世界は不思議だ。よく考えてみれば、なんだかわからないことだらけだ。なぜ雲は空に浮かんでいるのか。どうして人は人を好きになるのか。そもそも、人間とはいったいなんなのだ。なんのために生きているのか?自分は何もわからないってことがわかると、人間は謙虚になる。謙虚になってはじめて、人間は何かを学ぶことができる。どんなに歳をとっても、偉くなっても、自分が何も知らないってことを忘れちゃいけない。無知の知というのは、そういうことをいっているんだと思う。

しかし、そんなことをいうと、「雲がなんで浮かんでるかなんて、ネットで調べればすぐわかるよ」っていう奴が必ず出てくる。たしかに、最近は、ネットで調べれば、たいていのことが「わかる」ようになった。俺だって、そういうものを使わないとはいわない。百科事典に書いてあるのと、たいして変わらない答えしか出てこないけれど、簡単にそれなりの知識は得られる。知ったかぶりくらいはできるようになる。便利にはなったかもしれないが、ただそれだけのことだ。

ひとつの知識を本物の知識にするためには、何冊も本を読まなくてはいけない。それは今も昔も変わらない。インターネットで手軽に知識を得ることはできても、手軽に得られるのは手軽な知識でしかない。ハリボテの知識だ。知ったかぶりが増えただけのことだろう。その証拠に、インターネットの世界にはバカがあふれている。

~略~

「天下取っても二合半」という諺がある。どんなに偉くなっても、一食に喰える飯は二合半でしかないということだ。それと同じで、どんなにたくさんの情報が手に入るようになっても、消化できる情報量が変わるわけではない。最新の論文が読めるといっても、理解できなければ話にならない。インターネットにつながればなんでもできるといっても、消化不良で苦しむのがオチだ。今の世の中は、そういう消化不良がそこら中で起きている。

結局やっているのは、自分の理解力の範囲で生半可な知識を集めて、世の中に対してやたらと憤ったり、意見をしたりしているだけのことだ。パソコンにかじりついているだけで、世界が変えられるとでも思っているのか。

そういうのをスラックティビズム、怠け者の社会運動という。まあ、それは、Wikipediaに書いてあったんだけど・・・。自分は何もしないで、世の中を変えようっていうんだから虫がいい。

インターネットのおかげで増えたのは、人類全体の知識の量ではなく、自分が世界中のことをなんでも知っていると勘違いして、自分は絶対に正しいと思い込む人の数だ。何が危険といって、こんなに危険なことはない。

ソクラテスはきっと今頃、草葉の陰で笑っているはずだ。

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自分の理解力の範囲で生半可な知識を集めて・・・

自分は絶対に正しいと思い込む人の数・・・

 

グサッとえぐられた気分ですね。

自分自身に問うお題としても

見つめるいいきっかけになりました。

 

さすが最前線にいる人だけあって、

センスというか感覚というか

敏感ですよね、そしてフラット。

 

「最近の若者は~」みたいな

頭ごなしの穿った見方をしないところも。

 

この頁だけでなく

本書全体が「成人した日本人」に対して

守備範囲広く構えているところがさすが。

 

偏らず凝り固まらず、

心も頭も柔らかく見据えている、

こういう歳の重ね方ステキだなと思います。

 

読書をすることの大切さ

通じるような気がしますね。

 

北野武 新しい道徳

 

読書:「新しい道徳」北野武 -part.1-

説明不要の北野武(ビートたけし)さんです。

新しい道徳
「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか

 

とてもおもしろい良書でした。

ユーモアをまじえながらも

しごくまっとうなことを言っています。

 

言われればそうだな

と気づかされることも。

 

言われると納得 するのも

言葉にする力、伝える力があってこそ。

あらためてすごいなと思います。

 

目次

はじめに
第一章 道徳はツッコみ放題
第二章 ウサギはカメの相手なんかしない
第三章 原始人に道徳の心はあったか
第四章 道徳は自分で作る
第五章 人類は道徳的に墜落したのか?
おわりに

 

大きく全五章からなります。

そして各章約10章ほどの

テーマセンテンスで4ページずつほど

読みきりサイズでスラスラ読めます。

 

例えば、

 

第一章

01.道徳の教材をパラパラとめくっただけで、あっちこっちにもツコミを入れたくなる。

02.人生がこれから始まるっていう子どもに、自分を見つめさせて、なんの意味があるのか。

03.まるでクスリの効能書きみたいに、「いいことをしたら気持ちいいぞ」って書いてある。

04.なぜ老人を大切にしなきゃいけないか。いちばん大事なことが何も語られていない。

07.檻の中の犬や猫をかわいそうに思って、ペットショップに忍び込んで全部逃がすのは、いいことか?

12.道徳が役に立つのは、むしろ不道徳な人間だ。いい人間のふりをしたければ、道徳の教科書を参考にすればいい。

13.子どもに喧嘩をしちゃいけないと教えるなら、大人だっていかなる理由があろうと戦争をしちゃいけない。

15.神様が前提なら、道徳に説明はいらない。「神様がそういった」、日本ではそうはいかない。

第二章

01.今の世の中じゃ、ウサギは途中で昼寝なんかしない。他のウサギと競争中で、カメにかまってる暇はない。

04.デジタルには合間も隙間も余白もグレーゾーンもない。だから、その隙間を乗り越えるための苦悩を知らない。

05.インターネットで手軽に知識を得ることはできても、手軽に得られるのは手軽な知識でしかない。

第三章

02.宗教が世の中にひとつなら問題はない。宗教と宗教がぶつかると、大変な問題が起きる。

04.いつの時代も、どんな人間にとっても通用する絶対的な道徳はない。

05.道徳は人間関係を円滑にするための技術だ。

第四章

01.昔ながらの精神主義は、働きアリを作るのには都合がいいかもしれない。けれど、今の社会に必要な柔軟な想像力を育てるのには向いていない。

04.生涯熱中できる趣味があれば、歳をとってからわけのわからない犯罪を犯す確率はかなり減る。

05.のたれ死にする覚悟をしてまでも、自由が欲しかった。成功するとかしないとかは、二の次だったかもしれない。

06.向上心のある芸人は、自然にこの世界の掟を身につける。上に行こうとする奴は、放っておいても道徳的になる。

07.昔の人は、道徳なんて言葉は使わなかったけれど、自分の哲学で自分の行動を律していた。

08.神様とは関係なしに、自分の道徳で生きていけばいい。

第五章

01.周囲の自然に感謝して生きていけばなんとかなるという発想が、日本人の思想の根っこにある。

03.昔の人の性根が据わっていたのは、少なくとも今の俺たちよりは、自分の死について具体的に考えていたからだ。

05.最高の性教育は、出産シーンを見せてやることだ。

06.牛や豚がどうやって育てられ、殺され、肉になって、俺たちの「食事」になるのか、実際にその目で見て経験させる。

07.これから先は、個人の道徳なんかより、人間全体の道徳の方が大切になる。

 

 

各章からいくつかトピックを抜粋しました。

気になるお題がズラリです。

 

「道徳は自分で作るもの」と

本著では言われていますが、

 

それができて、さらに、

「道徳を言葉で語ること」まで

辿り着いているところがすごいです。

 

道徳はもとより

言葉化の大切さを

学んだいい機会となりました。

 

後日、この本から、

いくつか印象に残った箇所を

ご紹介していきます(^^)

 

北野武 新しい道徳