電話帳リストの断捨離

この本題のまえに、
自分にきたスパムメールの云々 前置きはこちら。

電話帳リストの断捨離 の前置き

 

「断捨離」という言葉が流行って数年。
もちろん今もそれを支持する論はたくさんある。

以前読んだ本に、
「私は定期的に掃除をする。持ち物はおろか交友関係も。」
「3ヶ月に1回は自分の身の回りの断捨離をする。」

人間関係も断捨離?
なんて殺生な、と思った記憶がある。

 

ただ、支持する部分もある。
それがスマホなどに登録されている電話帳リスト。

その登録リストの整理整頓、
つまりは登録されている人の断捨離、ということになる。

 

これってこのご時世結構大切なような気がする。

自分のケータイに登録されている人は、
明らかに関係性があり、お世話になっていたり、

一言で言ってしまえば、
「他人ではない」「迷惑をかけたくはない人」に分類される。

そんななかで、
自分がダウンロードしたアプリや閲覧したサイト、
そこにウイルスが潜んでいて、

スマホ内の個人情報が抜き取られる。
と、そこには電話帳リストが存在する。

ということは、
「迷惑をかけたくない人」たちなのに、

自分自身が迷惑をかける元凶になってしまっている、
というイヤーな構図が出来上がる。

 

結論を言ってしまうと、
自分が思う5-10年連絡をとってない人は、

電話帳から削除したほうが、
お互いのためではないかと思う。

 

想定外のリスクや問題は避けられないので、
なんらかの理由で感染したりするかもしれない。

すぐに連絡できる電話帳リストの人には、
すぐに対応ができる。

でも、
ずーと音沙汰ない、ご無沙汰すぎる人たち
もう連絡することはないだろうと思っている人たち
リストを見ても顔すら思い出せない人たち
リストを見てもその人すらわからない人たち

これって電話帳にいる必要があるだろうか。

 

なにかのときのために、なんて、
そんな「何かのとき」は起こることはない。

そのときは”顔なじみ”の”送受信履歴にある”
そういった人たちを想定するのではないかな。

 

目安として、
5-10年連絡をとっていない人 というよりも、

これから先、
「いつか自分から連絡を取りたいと思っている人」

でいいのかなと思う。

 

だから逆もしかりで、
過去の延長線上でただただ自分のことを
電話帳リストに登録したままの人たち。

早く削除してほしいとすら思う。

理由は一緒。

個人情報の滞積で、
いつ迷惑が降りかかってくるかわからない。

そう、だからお互いのため。

 

「いつか自分から連絡を取りたいと思っている人」

このモノサシがミソ。

相手に知らずに削除されてたら確かに悲しい。
(それを知るよしもないけれど)

でも自分が取りたい相手なら、
自分の電話帳リストには残っているわけだから、

必要なときに連絡をとればいい。

逆もしかり。

相手が残していて、自分が消した。
それでも相手が連絡を取りたいならば、
いつかその人から来ることもあるだろう。

そして、お互い自然消滅でいいなら、
それが円満ということにもなる。

 

前置きで話したスマムメールの話もそう。

自分は多くの人の個人情報を握っている。
日々持ち歩いている。

この感覚をもっと持つべきだろう、と思う。

 

なにが言いたかったかって、

現代人は日常生活のなかで、
自分に関係している多くの人の個人情報を持ち歩いている。

その管理、断捨離はできているのか?

ということを、
うんちくをまじえて、電話帳リストの断捨離の正当性を、
述べてみたまで。