私は◯◯年後の未来からきた。

「私は◯◯年後の未来からきた」
ドラえもんの話、ではない。

この考え方を知った時、目からウロコだった。
どういうことかというと、
『私は◯◯年後の未来の自分を知っていて、これではダメだ、過去に戻って軌道修正したい!
だから今ここにいる。新しい未来へと軌道修正しているところだ。』
普通は、現在という”今”が軸になっている。
その現在から、未来を見る。

・◯◯年後にはこうなりたい。
・◯◯年後にはこんなことをしたい。
・◯◯年後にはこれを持っていたい。

今と比較して~~というイメージ。

これを逆転の発想で、
自分は◯◯年後の未来に住んでいます。
それは昔自分が思い描いていた未来ではなかったです。
ダメダメなんです。過去への後悔でいっぱいです。
もしやりなおせるなら? そんなことを思う日々です。

過去に戻ってやりなおせるなら!違う未来をつくれるなら!ぜひやります!
だって「こんなはずじゃなかった」未来を自分はこの目で見てますから。

ということです。

この考え方のメリットは
・未来から現在を見ている。
・未来の理想(目標)から、今やるべきことをこと(行動)への逆算。
・マイナスな未来を具体的にイメージできることからの現在への切迫感。

このままいったら●●かもしれない。
という仮にマイナスな未来を想像したとしても
そこには『か・も・し・れ・な・い』という【if】にしてしまうもの。

人はみんな甘えてしまうもの。
マイナスな未来かもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。・・・と。
なんの根拠もない期待と不安。そのくりかえし。

明るい未来を想像しても、暗い未来を想像しても、
最終的には「今が大切」ということには行き着く。
明るい未来をイメージするだけで、それが今のエネルギーにならない時もある。

そんなときは、『私は◯◯年後の未来からきた』という、”やり直せる今”という発想が
違った意味でエネルギーに拍車がかかることもある、というお話。

普通は、「現在」⇒「過去」への後悔。
それを、「未来」⇒「現在」への後悔。

今までの自分にはなかった考え方だったので、
おもしろいなあと思いながら、整理しながら、書いてみた。

 

タイムスケジュールを見直そうっと。

次月の計画や目標を考える時期。
それを達成するために、そうだ、タイムスケジュールを見直そう、と。

目標を立てても、それが行動できないと、本末転倒なわけで。
逆もしかりで、無理難題な目標を立てても意味がない。

というわけで、
・今自分がどういう一日の時間の使い方をしているか
・それは適正か 改善や修正の余地はないか
・見直したときに、どのくらい新しい時間がうまれるか
・その新しい時間と、新しいタイムスケジュールで目標達成に近づくか
というサイクルで行動目標を整理していく。

 

まず第一に目標ありき。
1ヶ月間の、3ヶ月後の、半年後は・・・という大きな目標からの逆算。
その次にそれを具体的に行動に落としこむための行動目標。

タイムスケジュールは、いわばその行動目標にあたる。
最小単位の1日であり、その1日の継続が大きな成果につながる。
時間のムリ・ムダ・ムラを整理し、やること・捨てること、を明確にすることで時間をうみ出す。

なので、「時間がない」のは言い訳・・・となってしまう。
時間は誰にだって平等にあるから。
24時間という、みんなに平等なものだから、
一人一人にとっていろんな価値が出てくるんだと思う。

 

そんな概念は置いておいて
今自分に必要な1日の時間は、ざっくりと書いてみたら
・商品登録 3時間
・読書 2時間
・雑務 2時間
・勉強 1時間
これだけで、8時間、一般社会人の労働時間はうまってしまう。

商品登録とは、サイトに商品を陳列していく作業だけれど、
これが増えないと売上が増えない。

読書は、単純に頭の体操、リフレッシュなどを兼ねているし、
まあ勉強などもふくまれる。

雑務は、日々売れたもののメール対応、発送業務、入金確認、
サイトメンテナンスなど。

勉強は、まさにそのとおりで、「今の仕事」に追われないように、
「未来の仕事」を捉えて、勉強していく。

もちろんこれ以外にも、
1日のなかで時間を使っていることもあるし、なくていいものもある。
上の4つも、もっと時間を縮められるもの、毎日ではなくていいもの、
自分がしなくても?というもの。
おそらく時間のムリ・ムダ・ムラを整理していけば、もっと変化していく。

ちょっと最近、流れた時間の使い方をしていたので、
悪い意味でなあなあということ・・・
1週間くらい上のタイムスケジュールを実行して、定点観測してみる。
それができたらそのまま軌道にのって、次月進めるんじゃないかと思う。

月末とは、月の終わりではなくて、次月の助走段階。
月初からスタートダッシュするために。

という戒め?
このタイミングで整理してみた。

 

もしこれを経て、「1日1時間」今までとは違う新しい時間がうまれたら、
1ヶ月で30時間 = 新しい1日と6時間分 得したことになる。

あくまでも考え方。
でも、その1日で、もっと仕事に集中するも、思いっきり遊ぶも!
その選択肢と可能性は大きいっ!!

 

正範語録 ~詠み人知らず~

『正範語録』

実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差

真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり

本気でするから大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる

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人が懸命に生き、懸命に働くことの大切さを説いたもので
生活にも、仕事にも、人生にも通じる。
わかりやすい言葉で、心にしみ入ってくる。

そんな「正範語録」、実は詠み人知らず。
誰が言ったのか、いつ言ったのか、どこで言ったのか、どんな状況で。
推測や噂がまわっているだけで、正確なことはわかっていないという。

そこもまた魅力的だと思う。
詠み人の人格や時代に左右されず、受け手にすべてを委ねられる。
すべて自分の受け止め方、すっと自分のなかに入ってくる、ということだから。

身につまる思いもあれば、清々しい凛とした思いにもなる。
研ぎ澄まされた言葉。
シンプルであり、深い。

 

たとえば / 小田和正さだまさし

少し前の話。

2008年のクリスマスにTV放送された毎年恒例の「クリスマスの約束’08」。

そこで小田和正とさだまさしが共演し、共作した曲。
一夜限り、もちろんCD未発売。

ただ、その詞も曲もとてもいい曲だった。
「デビュー当時の自分に手紙を書こう」というコンセプトのもと共作した作品。

なんか自分のための曲であるような、胸に響く音楽。
今の自分から宛てた、過去の自分へ、未来の自分へ の手紙。

それから5年。
何回この曲を聴いたかわからないくらい、リピートした。
今年もふとしたときに何回聴くだろう。

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『たとえば』 (小田和正 さだまさし 共作)

話したいことがいくつもある あの頃の僕に会えたら
たとえば 迷いながら選んだ道の 辿り着く場所について
伝えたいことはほかにもある あの頃の僕に会えたら
たとえば 信じていたことの正しさと その過ちについて

それから不安を胸に映し 怯えたあの夜の闇も
たとえば ありもしない夢に紛れて逃げたことも

あの頃の僕に告げたいのは
ひたすら そこから ひたすら 歩き続けること
あの頃の歩幅でいいから
ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと

尋ねたいことがいくつもある 未来の僕に会えたら
たとえば 傷ついたり愛された この命の重さや
尋ねたいことはほかにもある 精一杯生きたかどうか
たとえば 奇跡的にめぐり会えた 愛しい人のことを

ここからの僕に言えることも
ひたすら このまま ひたすら 歩き続けること
今のままの歩幅でいいから
ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと

ひとつだけ言えることは 全ては今日のために
大切なことはひとつだけ 全ては今日のために

話したいことがいくつもある あの頃の僕に会えたら
話したいことがいくつもある 未来の僕に会えたら

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読書:「夢をかなえるゾウ 2 ~ガネーシャと貧乏神~」 水野敬也

ベストセラー、ドラマ化もされた「夢をかなえるゾウ」の新刊。
今回も関西弁の神様ガネーシャは健在ですらすらと読もことができた。

ビジネス書や自己啓発書としても人気の高い前作。
主人公がガネーシャとのやり取りのなか成長していくストーリー仕立てなのも読みやすさのひとつ。
小説であり、自己啓発書であり、といったところか。

新刊『夢をかなえるゾウ 2 ~ガネーシャと貧乏神~』で気に入ったシーンを。

 

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「仕事、お金、人間関係、幸せ・・・人間の悩みなんちゅうのはいつの時代も同じや。そんで本ちゅうのは、これまで地球で生きてきた何億、何十億ちゅう数の人間の悩みを解決するためにずっと昔から作られてきてんねんで。その『本』でも解決できへん悩みちゅうのは何なん?自分の悩みは地球上初の、新種の悩みなん?自分は悩みのガラパゴス諸島なん?」

「失敗したことや、恥ずかしいこと、みじめな状況ちゅうのはできるだけ人に話して笑いにしてったらええねん。そしたら人目を恐れずに色んなことに挑戦できるし、自由に生きることができるんやで。」

「多くの人が、お客さんというのは単純に『お金を払う人』だと思っていますが、それは違います。たとえばお金を払って食べ物を買ったとしても、食べ物を売っている人に『ありがとう』とか『おいしかったです』とか声をかける人は店員さんを喜ばせています。そうではなくて、『お金を払っているんだから喜ばせてもらって当然』と考えて偉そうな態度を取る人が『お客さん』なんです。」

「人間の赤ちゃんはやりたいことやるやろ?触りたいもの触って、行きたい場所に行く。もちろんそこで痛い思いしたり、つらい経験をするわな。でも、それこそが、人を一番成長させる道なんやで。せやから昔の偉い人らは、みんな口をそろえてこう言うんやで。『やりたいことを、やりなさい』」

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愉快痛快なガネーシャ節が炸裂だった。
そして、妙に説得力があるのは、神様だからか、関西弁の勢いか。
はて。