個人ブログは数字だけを追うのではなく、
読んでもらいたい人、ファンになってもらうことが大切。
具体的な読者像をイメージする。
どのような人に読んでもらいたいか。
そうすることで、その読者像を対象に、
「これはぜひ伝えたい」
「これは興味をもってもらえる」
と考える基準ができ、
ブログが書きやすくなると同時に、
ブログのカラーやまとまりもでてくる。
もし読んでもらいたい人が浮かばない場合は、
「未来の自分に向けて書く」と考えてみる。
あとで読み返すときのために、
興味のあること、書き残しておきたいことのストックである。
それはのちに、何か調べたいときに、
過去のストックが役に立つこともあるだろう。
過去の自分が書いていることが稚拙に見えて、
恥ずかしくなることもあるかもしれない。
過去の自分に感心して、
今の自分が情けなくなることもあるかもしれない。
それは未来の自分が、そのときの自分とは変化している、
つまり成長している証や、停滞している確認であり、
そこから励みや勇気をもらうこともある。
ブログは「偏り」が大切。
それはテーマであり、個性であり、
伝えたい読者を集めやすくもある。
なんでも書きたい、なんでも興味がある、
と仮に思っているとしても、
必ずどこかに興味の偏りやとんがりは発生する。
誰しも360度全方位に興味のアンテナがあるわけではなく、
ヤフーニュースのような分野網羅はありえない。
最初に書くテーマがなくて、ブログを躊躇しているとしても、
書いていけばおのずとどこかに「偏り」がでてくる。
そうやってテーマや個性が磨かれていくことになる。
読者像をイメージすること、
最高の読者は自分であるということ、
テーマや偏りは継続的に見てとても大切。
最初から明確なテーマや読者像があるならばどんどん肉付けしていき、
もしない場合でも、書き続けることが、次第に個性をつくっていく。
長年ブログを続けている人も、
何年目から突然テーマが変わっていたり、
どんどんカテゴリが増えていっていることはよく目にする。
ブログは「個性」の一部でもあるし、
人はたえず変化する。
興味や考えの変化もあれば、
環境によって変化せざるを得ないことも多々ある。
つまりブログは
「ある一定期間におけるその人の自己表現のひとつ」であり、
人格や価値観を永続的に決定するものではない。
そこが”日記のようなもの”という位置づけでもあるのかもしれない。
書くことも続けることも少し気持ちも楽になる。
逆説的に言えば、
「変化していく自分」が大局観としてわかっているからこそ、
「今を書き留めておきたい」という価値が生まれる。
点は線になり、
足あとは道をつくる。
道半ばで迷ったときに、不安になって後ろを振り返る。
進んできた道はどんなだったか、よかったのか。
そのときに自分の背中をおしてくれるもの。
それが”点”であり”足あと”である、
自分が書き残したものたち、なのかもしれない。