読書:「続・風の帰る場所」 宮崎駿

「続・風の帰る場所」
映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか

映画「崖の上のポニョ」から
映画「風立ちぬ」までの時期のインタビューを再編集。

それぞれ映画公開ごとに
ロングインタビューを雑誌「cut」で特集されていて
それを中心にまとめたもの。

この映画のこのシーンには、
そういう意図があったのか、とか読んでいておもしろい。

そして巻末に映画監督デビュー前、
「未来少年コナン」のころのインタビューも特別収録。

いろいろな意味で時代を感じるというか
その当時のアニメーションの制作環境などを
垣間見ることができる。

それにしても、一貫して筋が通っているというか、
若い頃のインタビューでも軸はぶれていない。

 

そしてこれを読みながらびっくりしたのが、
思っている以上にいろいろな作品に関わっているということ。

もちろん公式にじゃなかったり、
作品にはクレジットされていないものも多い。

でも当時はアニメーター同士のコネクションやで、
手伝う、手伝ってもらう、ということは多かったよう。

「フランダースの犬」
「じゃりン子チエ」
「ひみつのアッコちゃん」 etc

もちろん部分的な手伝いや、
第何話のみということもあるとのことで、
公式経歴にはふまえなくてもいいのだろうけれど、

ほんと作品名を聞いてもわかるくらい有名なものばかりで。

「ド根性ガエル」も開始前の作画(絵コンテ)は
頼まれたのもあり書いたらしい。

でも、あまりにも作風と違うということで、
スタッフから外れたらしい。

そんないろんな逸話が語られている。

しかも当時のインタビューなので、
かなり鮮明というか正確な記憶のなかで。

 

いわゆるミュージシャンでもそうだけれど、
スタジオ・ミュージシャンと言われる人など。

いろんな楽曲に、楽器参加している。
けれど、クレジットされることはあったりなかったり。

アートの世界ではこういうことは多いのだと思う。

特に無名時代や下積み時代とされるときは、
とにかく量をこなすことが勉強というか修行というか。

だから有名になれば、
「実はあの作品の◯◯は●●がやっていた」となるし、

そうでなければ、そういう話題も出てこない。

そういう世界なんだなあと改めて思う。

いくら宮崎駿マニアであっても、
おそらくクレジットされていない作品までも、
あさってチェックする人はごく稀だと思う。

ま、そこに宮崎駿のカラーがあるかないか、
ということに尽きるのか。

公式もしくは公表されているものは、
カラーが色濃く出ているだろうし、
お手伝い程度のものは、いちスタッフとして、ということだろう。

特に昔はアニメーションの世界は、
ほんと少ない精鋭たちで回していたことが、
よくわかる巻末インタビュー内容だった。

宮崎駿 続・風の帰る場所

読書:「ボタニカル・ライフ -植物生活」 いとうせいこう

今年一番ハマったドラマは、
「植物男子 ベランダー」(NHK BSプレミアム)だ。

哀愁ただよう中年オヤジ(田口トモロヲ)の、
都会のベランダで育てる植物たちとの物語。

とにかくおもしろい。
そしてあらゆるところでセンスが光る。

こんな感じの映像。

ベランダー

もう終わったけれど、公式サイトは残っている。
(まだスタッフブログも更新しているようだ)

一話ごとに、
「植物SONG」なるコーナーもあったり、
「多肉劇場」という多肉植物たちの短い物語、

「愛しの草冠」という植物と漢字のコーナー、
(しかも語りは松尾スズキ)

BGMもジャズから映画音楽、ゲーム音楽からと、
かなりハイセンス。

そして、一話ごとに使われた楽曲も、
すべて公式サイトに掲載されているという心配り。

公式サイト:植物男子ベランダー

 

これに相乗してハマったのが、
主題歌を歌っていた大橋トリオ。

基本主題歌は「アネモネが鳴いた」なのだが、
ストーリーに合わせて、主題歌が替わっている。

そのすべてが大橋トリオの歌だった。

思わずベスト・アルバムを聴きたおして
さらにハマった。

大橋トリオ

 

BGMで流れたジャズにもハマり、
オープニングや劇中に流れるセロニアス・モンク。

まさに大人のJAZZ。
軽快なピアノソロがかっこいい。

もうこのジャケットからしてかっこいい。

セロニアス・モンク

 

ふーっ、やっと本題。

そして、原作が気になって気になって。

「ボタニカル・ライフ -植物物語」 / いとうせいこう

これは電車の中や出先では読まないほうがいい。
思わずクスっと笑ってしまうから。

植物との日常生活を書いた3年間のエッセイ。
四季折々の植物たちと、季節ならではの奮闘。

確かなにかの賞も受賞している作品。

Amazonレビューなんかも見れもらえば、
そのおもしろさはお墨付き。

 

植物に多少知識がある、
(名前が出てきて頭にその植物が浮かぶ)

植物を育てた経験のある人なら、
「わかる、わかる!」と合いの手を入れたくなる。

そしてなんか知らないけど、
「みんな大変なんだ。そうだよなー。」
「いろんな環境でがんばってるんだ。」と、
変な勇気をもらえる。

よし、オレもがんばって育ててみせよう!と。

 

そんなわけで、一気に読んでしまったこの本。

なにやらその続編もあった。
数年後にまた植物エッセイを再開しまとめたもの。

「自己流園芸ベランダ派」 / いとうせいこう

これを今読んでいる。
楽しい。

自己流園芸ベランダ派

 

とまあ、こんな感じで、
今年の自身の植物生活とあわせて、
これらを堪能し満喫した。

ひとつのドラマから、
音楽や原作まであさくりまくったあたりが、
どのくらいハマったかがわかってしまう。

 

あっ、今日の今日言うのもあれだけど、
12月30日23:00- NHK BSプレミアム
「植物男子ベランダー」全13話 一挙放送!

公式サイト:植物男子ベランダー

 

お気に入りの話は何回も観たし、
しっかり全話録画保存されているのだけれど、

今回の一挙放送も録画しよう。

DVD化とかされそうな雰囲気今のところないし
この師走の一挙放送は貴重。

そしてまた読書へと戻るのである。
そしてまた植物たちとの真剣勝負がはじまる。

なんてったって、キャッチフレーズが、
「ボタニカル・ハードボイルド」だからねー。

植物男子ベランダー

 

読書:「自由人の脳みそ」 高橋歩

自由人、高橋歩が書いた「自由人の脳みそ」。

仕事も、夢も、遊びも、
自由に、自分に好きなように楽しむための38の考え方

いつもはインパクトのある短いキーワードやメッセージ、
そこに印象的な写真が添えられているスタイルだが、

本著は、これまでのメッセージに加えて、
それぞれ過去の膨大なインタビュー&雑談から文章を紹介、
キーワードに込められた想いがより具体的な内容になっている。

あ、あの言葉の真意はこういうことだったのか、
と初めてその意味に気づいたこともある。

少しだけ書き留める。

・・・・と思ったら具体的な話も織り交ぜると長くなった。
それでも38の中から選んだ15だ。

書くことで噛みしめ、理解度を深め、吸収して、
自分の血肉となっていけたらいいなと思う。

 

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俺が好きなことをやって自由でいられるのは、チームがいるから。そういうチームを作れているから。

みんな、それぞれが自分の「これが得意!これで勝負したい!」というところを出しあったときに、ひとつの輪が完成する。そういうチームを目指している。慣れ合いの表面的な一体感ではなく、独立した人同士がかもし出す深い一体感を求めている。「仲間とうまく調和して・・・」というのとは、少し違うのかもしれない。最高の仲間を作る一番の方法を一言で表すなら、「まず自分が、好きなことをやり続けていくこと」なんだと思うよ。俺はこういうことをやりたいと言う。そこに共感で人は集まる。俺はこういうことは得意だけど、そういうところはあまり得意じゃないんだ、とはっきり言ってしまう。そうすれば求める人に伝わり、仲間が集まる。「自分の色があるからこそ、誰かと一緒に虹が創れる」ということだ。

チームでやるのはもちろん楽しいし、言うまでもなく、仲間は大切。でも、「仲間がいないとできない」とは思わない。「ひとりでもやるぜ」という気持ちは、常にないとね。矛盾しているようだけど、「ひとりでもやるという覚悟」が、素晴らしい仲間を集めるための最大のコツなんだと思うよ。
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結果を出す人は、やっぱり、人の見てないことろで、狂ったように必死にやってる。

誰でも、なんの仕事でもそうだけど、やっぱり、やりたいことで飯を食っていくためには、それで金をもらうプロとして、専門的な知識や技術が必要なわけで、それらをがむしゃらに身につけていく姿勢やプライドが絶対不可欠だと思う。自分らしさがどうこうとか考える暇があったら、少しでも、専門的な技術と知識を磨いたほうがいい。「頑張る」とかいうと大変そうだけど、「面白い」と思っているから、狂ったようにやってしまうだけ。努力という感じではない。必要なのは、「努力できる力」よりも、「自分の好きなことを選ぶ力」なんじゃないかな。夢中になれることを選択できれば自然に頑張れるじゃん。
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「お金のリアル」というものを、しっかり逃げないで把握できれば、「じゃあ、どうする?」という方向に向かえる。

お金のことを、ポジティブでもなく、ネガティブでもなく、リアルに考えるようになった。お金のことはできれば考えたくない。しかも”ない”お金のことを。だから無意識に後まわしにしてしまいがちなんだけど、1日でも早くリアルに向き合えば、「じゃあ、どうする?」と動くための時間がそれだけ長くなるわけだ。
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「自分の人生を、ひとつの物語として見る」その視点を手に入れたとき、人生は大きく変わる。

俺は「人生80年」と設定しているんだけど、そういう視点も大事なんだ。例えば出版社を始めて、2年ぐらいはまったくうまくいかなかった。ビジネス的に見ると、「2年も赤字を生み出し続けるのはやばくない?」、「もう客観的に見たらつぶれているし、人生考え直したほうがいいよ」みたいなことをよく言われたんだけど、俺は、「別に80年のうちのたった2年でしょ。この後何年かで盛り上がっていければ80年の物語で見たときに、おいしい展開じゃん」と思っていた。最終的にうまくいったときに、「最初の5年くらい、いろいろ大変だったね~」と、いいネタになるから、全然問題ない。そう思っている強さがある。

あと、「誰の人生にも、春夏秋冬がある」という見方もある。その見方を持っているから、人生的に冬の時期でも、「大丈夫、大丈夫、そういう風にできているから。今は冬かもしれないけど、この後、絶対に春が来るし」と、なんだか元気づけられる。どんなにうまくいっていないときも、俯瞰することで、「大丈夫。いける、いける。この後うまくいって、素敵な物語になる」と、前を見ることができる。
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「何かを選ぶということは、何かを捨てるということ」そうやって割り切って生きていくと、やっぱりその方が気持ちいいなと感じるようになってきた。

大きな意味で言うと、人生に不要なものなんてないのかもしれない。でも、自分の体はひとつしかなくて、物事に対して深く向き合って考えられる頭のキャパは限られている。そして、時間も限られている。そうすると、結局、セレクトせざるを得ないんだ。だから、なるべく多くのものを、多くの人と関わっていくというよりは、なるべく狭くして、深くしたいといつも思っている。

なんでもそうかもしれないけど、バランスという言葉を使って、両方ともうまくおさえておこうとすると、なんとなく安心はするかもしれないけど、うまくいかない。だけど、バンッと片方に寄ってしまえば、「もうこっちで割り切っていくしかないんだ」と、シンプルに重心が乗る。あと、選択できる、捨てることができるということは、自信を持つということなのかもしれないね。

くだらないことで悩むのは、もうやめよう。いらいない荷物はすべて捨ててしまえ。生きていくうえで大切なことは、そんなに多くない。
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「不安定に強い」人間でいる方が、結果、安定している。

人生なんて、絶対に何か起こると思うんだ。例えば、「仕事は完璧で、もう一生の収入が保証されているから、子どもを育ててのんびり暮らそう」と言っていても、子どもが急に病気になったり、不良になったり、家のまわりが開発されて引越さなきゃいけなくなったり、なんかいろいろなことが起こる。いわゆる「安定した人生」や「計算された人生」というのは、実際はないんじゃないかな。そういう「固めていく安心・安定」みたいなものは、結構もろい気がするよ。そっちにいくと、逆に安定感がないと思う。俺は、トラブルやアクシデントみたいな「不安定」に強い人間でいる方が、安定すると思っている。不安定に慣れてしまえば、それが結果として安定しているということになるから。

子どもたちを見ていても、あいつら、世界中をたらいまわしされているから、そんなのに完全に慣れているよ。不安定にはすごく強い。ちょっとやそっとでは、ビクともしないよ。
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自分らしく生きようとするのではなく。自分らしさなんて、どうでもいいということに気づくこと。そうすると、自然に自分らしくなる。

そもそも、自分らしさというのは自分で判断するものじゃない。「それって、あゆむらしいね」とまわりが言うのはわかるが、自分で、「俺はこういうタイプなんで」と言うと、それによって枠ができてしまう。自分らしいという言葉でキャラ作りして、自分で自分を縛る鎖を作ってどうする?という感じだよな。

この間も、別の友達が、しきりに歌舞伎のことを語っていて、俺は歌舞伎なんてまったく興味なかったんだけど、話を聞いているうちに、ちょっと観に行ってみようかなと思った。これで実際に観に行って、「えっ?面白いじゃん」となったら、また新しい扉が開き、世界が広がる。もしそこで、「俺は歌舞伎とか観ない人なんで」と、キャラクターに縛られて、シャットアウトしてしまうと、新しい扉が開くチャンスなんてない。

「俺、アナログなんで」とか「デジタルなんで」とか、そんなのも良く聞くけど、マジでもったいないと思う。別にそんなのどっちでもいい。面白そうならやってみた方がいい。「一生、雑魚であれ」、キャラクターや肩書きなんかに縛られず、雑魚として学ぶ心を忘れず、新しい面白いものにどんどん出逢って、少しでも大きな人間になっていきたい。
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成功するまでやれば、必ず成功する。一度うまくいってしまえば、すべての失敗は経験と呼ばれる。

失敗にビビっていたら、なんにも始まらないよ。第一、いきなりうまくいくなんてありえない。無理に決まっている。素人が最初からできるわけがなんだから。俺の場合は、七転び八起きどころか、億転び兆起きの精神。うまくいかなかったとしても、同じ失敗をしなければいつかは、失敗のネタはそのうち満員御礼にある。そうするといわゆる、「コツをつかんだ」という状態になる。そこからうまくいき始める。そして、いつかは成功する。

あと、俺の場合、「人生でペイすればOK」と思っているのが大きいのかもしれない。例えば、3年間うまくいかなかったとする。そうすると、この3年だけ見たら確かに駄目かもしれない。だけどその経験があれば、人生トータルで見たときには、『やっぱり意味があったよな!』と思って死んでいける自分の姿が目に浮かぶんだ。だから、2、3年悪いことが続いたぐらいで落ちこむことはない。人生80年あるんだから。最初は駄目でも、逃げ出さずに、うまくいくまで粘って、最後に圧勝すりゃいいわけよ。そうすれば、失敗なんて、飲み会でのいいネタになるから。
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自分のルールを決めれば、迷うこともなくなる。逆に、自分のルールを持たない人間は、道を選べない。

自分のルールを守ることは、自分の信じる「美しさ」を貫き通すということ。俺自身が「やる」と言って始めたことだから、やらないという選択肢は俺の中にはないんだ。その「自分の美学を」というのはすごく強い。自分の価値観、自分の美学、自分のスタイル、自分の信念、自分の生きる姿勢・・・。なんでもいいから、まず自分の心の真ん中にある想いを、シンプルな言葉にして刻んでみるのがいいんじゃないかな。そこから、きっと自分が生きていくうえでのルールが生まれてくるはずだから。

ルールは従うものじゃない。自分で作るものだ。
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「常識」であったり「普通」であったり、そういうのはどうでもいい。

「常識に縛られないっていうのは、ただの自分勝手、自己満足じゃないですか」と言う人もいるけど、最初はそれでいいと俺は思っている。それが多くの人に「いいね!」と伝わらなければ、自分勝手や自己満足と言われたままで終わる。それが突き抜けて多くの人に伝わったり、喜ばれたりした場合、すべては変わる。目に見える結果が出てきた途端、まわりからの評価は、180度転換するんだ。

失敗は、「経験」と呼ばれ、わがままは、「こだわり」と呼ばれ、自己満足は、「オリジナル」と呼ばれ、意味不明は、「斬新」と呼ばれ、協調性のなさは、「個性」と呼ばれるようになる。ただオタクと呼ばれていた人も、それが突き抜ければ専門家と呼ばれる。スタートは自己満足ありき。それでいいんだ。

常識や価値観なんて、そもそもみんな違うという前提で俺は生きている。それに世の中で言われる常識も、移り変わっていっているものだから。だから、そんなものは気にしなくていいんだよ。

でも人の目をまったく気にしないというわけではない。自分が大切だと思う人の目は気にするでしょ、そりゃ。あとは、自分が最高と思うようにやるしかない。
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悪いことがあったら、「自分のせい。きっと何か変えられることがあるはず」と自分に向けて考える。

「こういう伝え方をすればよかったかな」、「自分の関わり方をこうすればよかったかな」、「あの約束をこういう感じに変えればよかったかな」と、そういう風に自分に向けて考える。そのうえで、「どうすれば次はうまくいくか」と考えて、次に向かって行く。人のせいにしたり、仲間の中で犯人探しをしていても、何も解決しない。それよりも目の前の問題をどう解決するかということに、いち早く切り替えた方がいい。

子育てにしても同じだね。例えば、最近息子の言葉遣いがひどくて問題になったときも、夫婦で話していた。息子が悪いと考えるんじゃなくて、親としてどうしていこうかを考えよう。自分がどうすれば、息子がそういう言葉遣いをしなくなるかを考えてみようって。最悪なのは、その後、世の中の話にまでいくこと。「今はそういう世の中だからね。子どもの言葉遣いが最近悪くなってきたって、本にも書いてあったよ」って。それじゃ、なんの解決もないというゴールになってしまう。

自分を変えた方が早い。伝え方ひとつとってもそう。伝えたいことが、なかなか伝わらないとしても、それはきっと、相手が悪いんじゃない。自分が相手に響くように伝えていないだけ。わかってくれないと嘆くんじゃなくて、伝えるための自分の技術を磨けばいい。俺はこの切り替えが、結構すんなりいくんだ。やっぱり「決める」という強さだよね。

他人を変えることはできないけど、自分を変えることはできる。大から小まで、たいていの問題はこの気持ちでクリアしている。
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未来のために今を耐えるのではなく、未来のために今を楽しく生きるのだ。

石の上にも3年と言っても、つまらない石の上に3年もいたら駄目だ。それをやるかやらないかというのは、3年もかけて頭で考えるものじゃない。「それって逃げじゃないですか?」と言う人もいるけど、やめるのが逃げじゃなくて、嫌なことを続けるのが一番の逃げだと、心から思うよ。本当は嫌なのに、自分をごまかして続けていく方が、逃げでしょ?

「未来のために今は耐える」という言葉は、俺がやっている行動も、表面的に見たら同じかもしれないね。睡眠時間を削って、寝ないでやっていたり、やりたいことのためにお金が必要だから、頭を下げてお金を集めたりしているから。そういうことも、浅く見れば、「それは、未来のために今は耐えているんでしょ?」と見えるかもしれないけど、俺の中ではちょっと違う。どうせやるんだという覚悟があって、やるからにはなるべく楽しくやろうよという思考なんだ。

ダイエットみたいなもんだよ。耐えてダイエットすると、結局、リバウンドして同じことになっちゃう可能性が高い。それよりは、「ま、大変なこともあるでしょ」とダイエット自体を楽しんでいった方が、結局、未来自体もよくなるというイメージだね。

一番まずいのは、未来にワクワクしようもない、よくわからないものに向かって、とにかく耐えて頑張る、みたいなもの。「なんか将来不安だから、とりあえず資格を取っておこう」というのもそんな感じだよね。

大切なのは、やるかやらないのかを自分の意思で決めること、そしてやると決めたからには、楽しくやるということだ。とにかく、難しいことをごちゃごちゃ考える必要はない。「今」をよくすれば、「未来」もよくなる。シンプルなことだ。

人生は短い。やりたくないことをやっている暇はない。
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人生設計なんて、いらない。一番大切なものをしっかり抱きしめながら、ただ、やりたいことを必死にやり続けることだ。そうすれば、人生なんて、自然にうまく設計されていくから。

自分なんて、いつ、どう変わるかわからない。だから俺は、人生の計画なんていらない。「計画をすると、計画以外のものは見えにくくなる」という人間の性質があると思うんだ。おれは「どうなっちゃうわけ?」みたいな感じを楽しいと思っている。楽しさの種類が違うということ。保障をつけることで設計していく人生に、楽しいことがあふれているというイメージがないから。

俺は『毎日が冒険』という本を書いているけど、実際は、毎日がトラブル。それを「毎日が冒険」と呼んでいる。トラブルが起きないようにやることもできる。挑戦をしないで、なんとなく形になっているものを小っちゃく守って、なるべく新しい要素を外して、でも最低限の収入が守られる、みたいなことは、おそらく簡単にできるんだと思う。だけど、やっぱり俺は、どんどん新しいことに挑戦していきたい。そして、自分を成長させたい。死ぬまで、冒険的に生き抜きたいんだ。

あと、やっぱり大事なのは、家族にも理解してもらっておくことだね。「金銭的には、生きていくことができる最低金額を下まわらないっていうことは約束するが、新しくワクワクすることが始まってくると、安定した収入や住む場所は、動くこともある」ということを、俺は妻にきちっと伝えている。

昔は妻とよくその話をしていたよ。急に貧乏になったりするから。さすがに妻は、もう20年一緒に過ごしているから、信頼してくれていて、いつも「人生トータルで結果出してね。それならいいから」と言っている。理解しているから、一緒に楽しめているという感じだね。自分の人生観というのを、ちゃんと一緒に活動する人にはシェアしとかないと。それもひとつのミッションだよね。

ただ、守るべきものだけをポケットに入れて。いつも、驚きながら、興奮しながら。感じるままに、世界中の路上を飛びまわっていたい。一生、ただの男であれ。一生、旅人であれ。
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「こうなったら、最高にハッピー」という未来のシーンを、ワクワクしながら、想像しよう。

俺の癖のひとつ。想像すること。いわゆるIMAGINEってやつね。わかりやすく言うと、特に、ふたつの角度がある。「こうなったら、最高にハッピー」という未来のシーンを想像する癖と、「俺があいつだったら・・・」と、誰かの気持ちを想像する癖。

よく、「イメージは現実化する」と言うけど、最初は成功哲学っぽくて、うさんくせぇなぁ、と思っていたけど、今は俺も実感している。「現実を引き寄せる」とか「現実が後からついてくる」みたいな言葉がすごくピンときていて。それは俺が特別に持っている能力じゃなくて、人間という生物が持っているひとつの性質だと思っている。

友人に清田益章さんというエスパーがいるんだけど、彼はそれを超能力という形で表現しているわけだよね。清田さんが超能力でスプーンを曲げるとき、「『スプーンが曲がった場面』と『それを見たまわりの反応』と『そのときの自分の気持ち』、その3つを先取りしてイメージすると、現実がついてくる、つまりスプーンが曲がる」と。

清田さんの場合は、それを3分でやるんだけど、「あゆむの場合は、それを3年でやっているだけ。自分の店をオープンさせたことも、言わば超能力。短距離走と中距離走の違いかな」と言われて、すごくピンときた。

20歳の頃、自分たちの店をオープンさせたときは、まさにそれだった。実際にオープンしたとき、パーティーも大盛り上がりで、朝になる頃、みんな帰った店内の掃除を4人で済ませて、乾杯をした。そこに、俺がずっと、思い描いていたシーンがあったのをよく覚えている。「これ、デジャブ?」と思っちゃうほど、4人の配置から、それぞれ持っているビールの銘柄まで同じで。鳥肌たっちゃったよ。まさしく、現実がビュンとついてきたみたいな感じだった。

やっぱり、人間はそういうふうな能力を持っている気がしている。スティーブ・ジョブズの本を読んでいても同じことを感じた。多くの成功者も大体、「ビジョン」という言葉でよく表現しているし。それに、宗教家はみんな例え話が上手でしょ?イメージできているから例えられるんだよね。そういう人たちはかなりテクニカルに、それを使っているのかもしれない。

「なんか面白そうだな」という感覚がきたら、すぐに想像している。「よしやろう」と覚悟を決めて、それからイメージするのではなく、「こんなになったら楽しいね。最高だね」と先にイメージして、面白そうだから、「やるぞ」と覚悟が決まっていく感じかな。

あと、みんなよく「妄想」という言葉を使うけど、俺は、「妄想」と「想像」をわけていないんだ。「なんだか実現しそうもないけど、フワフワぼんやり考えている」みたいなことを、みんな「妄想」と言っている。でも、俺はいつも実現させるつもりでイメージして、話している。「こんなになっちゃったら最高だよね」と飲み会で盛り上がっているときに、その差を感じるんだよね。「今の話、妄想と思っているかもしれないけど、俺はマジだから」というやり取りが、これまで何回もあったよ。俺の場合、どんな壮大なプロジェクトも、すべては、飲み会から始まっているよ。まぁ、飲んでいるだけじゃ、夢は叶わないけどね。
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愛しあえばあうほど、心は自由になっていく。大切なものがシンプルになればなるほど、心は自由になっていく。LOVE or FREEではなく、LOVE & FREEなんだ。

幸せというのは俺の場合どんな感じなのか?と考えたとき、極端に言えば、世界中の人が俺のことを嫌いでも、家に帰ったときに、妻が「お疲れ」と笑顔で言ってくれていれば、まずもう幸せなんだ。もちろんそれは拡大していったら嬉しいけど、それさえあれば充分なんだ。逆に、世界中の人が俺を褒めてくれていても、妻とうまくいっていないなら、俺は幸せとは思えない。

まわりを見ていても、結婚して子どもができて、絶対的な幸せを感じさせてくれるホームが確立されている人ほど、より自由に攻められているし、自由に生きられている感じがするよ。

あと、俺は「帰る場所があるから旅は楽しい」というのも、ひとつの真実だと思っている。家に帰ったらすごく幸せという安心感があるから、俺は旅をしていても楽しいし、「外にどんどん広げていこうぜ」とリラックスして、自由な感じで言えている。だから、そのホームを、ちゃんと素敵な絶対的なホームにしていこうという意識はすごく強い。

妻との関係で言うと、お互い、意識的に、積極的に伝達しあおうとしている。ふたりきりでゆっくり話せる時間も意識的に作っているしね。やっぱり、大切なのは伝えることだ。結局は、ぶっちゃけワールド。当たり前のことも、きちんと伝達して、精神的に交換する。そうやって俺は、絶対的な幸せを感じさせてくれるホームを確立しているんだと思うよ。

愛する人と、自由な人生を。
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注)
引用するにあたって2点修正している。

*著者以外、妻◯◯、息子の◯◯と名前が明記されているが省略している。これは「特定のあの人」としてしまうよりも、自分の環境に置き換えてイメージしやすくなるとも思ったから。

*言葉、文章、言い回しなどは忠実に引用している。ただし各項ごとに4ページほど書かれている。これを要約する際に、例えば登場する文章の順番を逆にしたり、文章を省略してつなげたりしている。そのほうがまとめた際に流れがきれいになるため。

本著のオリジナル原文を深く味わいたい方は、
実際に手にとって深く読み進めてみてほしい。

高橋歩 自由人の脳みそ2

読書:「人生が変わる2枚目の名刺」 柳内啓司

先日書評などで気になっていた本。
「人生が変わる2枚目の名刺」 / 柳内 啓司

こちらにも紹介されていたものをまとめていた。
こちら ⇒ 2枚目の名刺を持つこと -パラレルキャリア-

実際に読んでみると理解度も深まり
得るキーワードなんかも多かった。

自分の備忘録のために箇条書きに書いてみる。

以下、複数気になったポイントがあれば、
本著を読んでみるとより具体的な話で深まるかもしれない。

 

 

本業の安定収入があるからこそできる冒険もある。

思い切って挑戦して、失敗できる場所。

失敗することは、絶好の成長機会である。

会社の看板ではなく「個人」で仕事をしてみる。

顧客から直接お金を得る機会で、見合うだけの価値を提供するという経験を積む。

心からワクワクすることに本気で取り組めば、人生が豊かになる。

収入は、結果としてあとからついてくるもの。

「稼ぐ力」を身につけることは、自己評価の上昇につながる。

スキル・知識・人脈は無形の財産。

自らお金を稼ぐ経験は、ビジネス感覚を鋭くする。

他業界の人と積極的に交流して情報交換をする。

ただし、名刺交換と挨拶だけで終わるような形ではなく、一緒にプロジェクトを立ち上げたり、仕事と同様の緊張感をもって活動を共にする。

名刺を使って、なりたい自分を高らかに宣言してしまう。

「覚悟のスイッチ」が入り、セルフイメージが一気に高まる。

「生きがい」を本業以外にも持つこと。

仕事に依存しなくなり、不平不満もなくなり、精神的にも安定する。

タイムマネジメントスキルを磨くと人生が輝く。

「自分の人生に本当に必要なもの」が見えてくる。

楽しい活動で忙しくなると、健康でありたいと思うようになる。

出会った人の中から「ロールモデル」を見つける。

ロールモデルとは、行動や考え方を模倣・学習する対象となる人。

多様な価値観に触れて、知的好奇心を満たす。

生活にリズムが生まれて、本業のパフォーマンスも向上する。

本業の場所から離れる時間を作り出すことで、本業を客観視できフラットな立ち位置で物事を考えることができる。

全くお金に不自由していないとして、やるたいことは何ですか?

1年間自由にしていいと言われたら、やりたいことは何ですか?

時間を忘れるくらい楽しかったことは何ですか?

想像するだけでドキドキワクワクすることは何ですか?

人に感謝されたことは何ですか?

無意識に諦めていたことはありませんか?

周囲の意見に流されていませんか?

夢を可視化すると、そこに光が宿る。

目の前の利益に走らない。苦労や経験は買ってでもする。そこから得た学びは、お金以上の価値がある。

収入源を複数持つことは、リスク分散になる。

自力でも生活できると思えることで、心に余裕と自信が生まれる。

本気で好きなことに取り組む人を、周囲の人は応援する。

何もしないことが最大のリスク。

注目されるプレッシャーを成長の糧にする。

タイムマネジメントを成功させるコツは、物の整理と同じで、「いかに不要なものを捨てるか」。

時間を制する者は人生を制する。

情報は発信するところに集まる。

学んだ情報は積極的に周囲に共有しよう。

会社の短命化、人間の長寿化がますます加速する。

1つの組織で人生を全うできない時代に。

独立すれば、自由を獲得できるわけではない。

今いる場所から自分の働き方を作っていく。

物質的なモノから、精神的なコトへ価値を置く時代に。

選択する自由を楽しめる人が幸せを手にする。

肩書きなんて名乗ったもん勝ち。

名乗って先にゴールした状態から、逆算して何をするべきか思案し行動する。

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読書:「ゼロ -なにもない自分に小さなイチを足していく」 堀江貴文

ホリエモンの本。

堀江貴文はなぜ、逮捕され、すべてを失っても、希望を捨てないのか?ふたたび「ゼロ」となって、なにかを演じる必要もなくなった堀江氏がはじめて素直に、ありのままの心で語る、「働くこと」の意味と、そこから生まれる「希望」について。

という紹介文にあるように、騒動後、釈放後に発表された著書。

 

「なぜ自分は働くことが好きなのか?」という軸から、
生い立ち、幼少期、学生時代、仕事時代と、

自身の年表を紐解いていきながら、
同時に振り返り、その考え方を整理して書いていく。

自慢話や自信過剰な発言ばかりかと思っていたら
そうでもない。

地に足がついているというか、
理に適ったことを言っている。

 

本著タイトルを象徴している文が冒頭にあった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

スタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。つまり、「掛け算の答え」(成功へのショートカット)を求めているあなたはいま、「ゼロ」なのである。そしてゼロになにを掛けたところで、ゼロのままだ。物事の出発点は「掛け算」ではなく、必ず「足し算」でなければならない。まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さく地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とは、そこからはじまるのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

以下、
その思考のエッセンスがわかるキーワードを抜粋。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

努力するのではなく、その作業に「ハマる」こと。
なにもかも忘れるくらいに没頭すること。

経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていく。

人生の中で、仕事とはもっとも多くの時間を投じるもののひとつだ。そこを我慢の時間にしてしまうのは、どう考えても間違っている。

お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう。
儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう。

やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。

仮説を立て、実践し、試行錯誤をくり返す。そんな能動的なプロセスの中で、与えられた仕事は「つくり出す仕事」に変わっていく。

能動的に取り組むプロセス自体が「仕事をつくる」ことなのだ。

「やりたいことがない」は真っ赤な嘘だ。最初から「できっこない」とあきらめているからだ。「できっこない」という心のフタさえ外してしまえば、「やりたいこと」なんて湯水のようにあふれ出てくる。

物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。

総務省統計局の数値からみると、この国で働く人のうち「20人に1人が経営者」である。

起業によって「失うかもしれないもの」を心配するのではなく、起業によって、「得られるもの」を考える。

信用の「ゼロからイチ」は、まず自分で自分を信じるところからはじまる。

責任が発生しないうちは、ほんとうの意味での自由も得られないのだ。自由と責任は、必ずセットになっている。責任を背負うからこそ、自由でいられるのだ。

僕らにできる失敗なんて、たかがしれている。

時間とは、「命そのもの」。タイム・イズ・マネーという言葉は間違っている。お金なら増やすことも可能だ。しかし、時間だけは誰にも増やすことができない。まさしく有限の「命そのもの」であり、タイム・イズ・ライフなのである。

仕事の質は、ひとえに「集中力☓時間」で決まるものだ。

寝不足のぼんやりした頭で10時間働くよりも、集中力を極限まで高めて2時間働いたほうが、ずっといい仕事ができる。

過去を振り返っても事態は変わらず、未来に怯えても先へは進めない。かけがえのない「いま」に全力を尽くすこと。脇目も振らず集中すること。将来の自分とは、その積み重ねによって形成されていく。

情報を得ることは、未来を知ること。だからこそ、情報弱者と情報強者の間では、「未来を見る力」に決定的な差が生まれてしまう。情報に鈍感な人が損をするのは当然のことなのだ。

努力という言葉には、どうしても古くさくて説教じみた匂いがつきまとう。できれば僕だって使いたくない。でも、「挑戦」と「成功」の間をつなぐ架け橋は、「努力」しかない。その作業に没頭し、ハマッていくしかないのである。

掛け算を覚える前に、足し算を覚えよう。他者の力を利用する前に、自分の地力を底上げしよう。同じ3を掛けるでも、2×3よりも5×3のほうが大きいように、自分が2なのか5なのか10なのかによって、結果は何倍にも違ってくる。ゼロからイチへ、そしてできれば5や10へ、自分をもっと積み重ねていこう。

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学ぶことが多かった。

そしてとても懐かしくも思えた言葉たち。

過去に仕事で教わった教訓たちも
フラッシュバックしてよみがえってくる。

やはりそこには揺らがない心理、原理原則がある。