すでに起こった未来 by P.F.ドラッカー

以前にも触れたことのあるこの言葉、『すでに起こった未来』。

P.F.ドラッカーの同名著書の日本語題です。
昔読んだ本なので、内容の記憶はほとんど残ってなく・・。
世界経済論だったと思います大枠で。

政治・経済・社会・企業のトレンドについて、
激動と大転換の現代とその本質を知るためには、みたいな。
本の内容はうっすらながら、それでもこの言葉は強烈に残っています。

『すでに起こった未来』
いい響きです。

同時にすごく違和感があるからこそインパクトのある言葉。

なんで未来なのに“起こった”という過去形?
そこにこの言葉の核があるんですね。

 

過去は繰り返す、時代は繰り返す、なんて言葉がありますよね。
今起きてることはこの先にも起こり得る、こういう言葉もありますね。

言ってしまえば、そういうことなんです。

未来を創るため変えるためには、
また、動いている現在を捉えるためには、

過去から学ぶこと、今を本質的に知ること、
その普遍性を掴むことが大切。

 

仕事でもそうですよね。
今起きている問題は、過去にはなかったのか?
今起きている問題は、未来にどういう影響を及ぼすか?

例えば、それが初めての課題や問題かもしれません。

でもそれは「あなたにとって」であり、
「あなたがいる環境」に限定されたものです。

他人・他社・異業種など環境を広げて見渡してみたら、
同じような問題はないのか。

ということは。
あなたが今抱えている未来に起こり得る問題は、

違う場所では『すでに起こった過去』=過去の事実・現象 であり
今のあなたにとっての『すでに起こった未来』=未来の投影 となるわけです。

現象を
その時特有の状況(当事者・トレンド・流行)で狭く偏って捉えずに
俯瞰的・普遍的・客観的に本質を見抜く、その思考です。

深いですよね。

仕事だけじゃないです。
毎日の中でのいろいろな問題にも共通していることだと思います。

『すでに起こった未来』を自分の眼で確かめることで、
過去や現在から学んだそれは、全く同じことを繰り返さずに済む可能性があります。

 

ちょっとこんがらがってきますね。

要するに、
『すでに起こった未来』を自分のものにすることで、
『これから起こる未来』を新しく創っていける。
まさにこれが言いたかったのです。

妙に哲学的なくだりになってしまいました。

それだけとてもインパクトのある言葉であり、
印象的でずっと頭から離れない、
自分にとっては大きななにかを持っている言葉です。

 

ちなみに。
『すでに起こった未来 -変化を読む眼-』 P.F.ドラッカー

この書籍の原題は、
“THE ECOLOGICAL VISION – Reflections on the American Condition”
(社会生態学的な見通し―アメリカの条件を振り返る)

本の内容はこの原題そのものというわけですが、
この本の日本語タイトル考えた人、キャッチコピーの爆発力すごい。

ドラッカーは世界中で翻訳され
多くの人に読まれていまる名著がたくさんありますが、
そういえば・・・どの日本語題もセンスやインパクトがある。

このあたりの角度から「現代広告やキャッチフレーズ」なんかを
考察してみるのもおもしろいかもしれませんね。

 

脱線しました。

何か問題に直面したときには、
『これは “すでに起こった未来” 、必ず解決策はある!道は開ける!』

そういう気持ちで臨んでいこうと思います。

 

経験のものさし

プロ将棋棋士の羽生善治さんの本にこんなことが書いてあった。

『不調を乗り越えるための「経験のものさし」』
経験のものさしとは、何かをマスターするためにかかった時間の定規。

勉強・語学・受験・スポーツ・楽器・免許・資格・仕事内容など、
「自分は◯◯を習得するのに◯◯時間(日/年etc)かかった」
時間と労力と情熱を注いだらこのくらいのことができるようになった、
という自分自身の学びや経験からくるものさしがある、と。

それがあるから、
何か新しいことにチャレンジしようとしたときに、
何かうまくいかないときに、
その時間や労力や情熱への不安に耐えられるようになる。

「経験のものさし」が焦らずに進んでいくための武器になる。
「経験のものさし」が努力の見込み、
つまり成果が出るようになるまでに必要な努力の量と質を見極める力を自分に与えてくれる。

「経験のものさし」の種類が豊富であればあるほど、
自信をもって進むことができる。

とてもいい導きの言葉だと思う。

 

誰しも生きてきた年数と時間だけ、経験してきた量と質だけ、
「経験のものさし」が蓄積されている。
ない人は、いない。

年齢を重ねるごとに、これを磨くことによって、
瞬間的な焦りや不安は払拭できていく、
ようになるんだと思う。

自分に置き換えてもそうだし、
周りの若い人を見渡してもそうかもしれないが
若い頃に一見安易な無謀な目標を立てたり、
焦りや不安が多く悩んでしまうのは、
この「経験のものさし」を持ち合わせていないか、まだ少ないか。

もし、自分の経験のものさしがわからない、という人は、
生まれてからこれまでの、自分年表をおさらいしてみる。

今◯◯が当たり前のようにできるのも、
今◯◯をした経験が生きているのも、
こんなことではへこたれないよ、◯◯に比べたら・・・と思えるのも、

自分年表を紐解いたなかに、
その“◯◯”という「経験のものさし」があったから。

何か長期的な目標を立てようとしたとき、
今やっていることが途方もない過程なとき、
「いやいや、◯◯もこれだけの時間がかかったじゃないか!」
何事もすぐに成果を出せてしまう特効薬なんてない。

 

こういう手法と考え方をうまく使って、

自分に自信をつけることができる
自分を承認することができる
今立ちはだかる壁に立ち向かおうとすることができる
他人が壁に当たっているときに、自分の「経験のものさし」から理解してあげることができる
他人が壁に当たっているときに、自分の「経験のものさし」の体験談により励ますことができる

などなど。

種類も長さも豊富な、
自分ならではの「経験のものさし」をつくっていこう。

 

考える vs 行動する

あなたはどのタイプ?

考える前に行動する。
考えながら行動する。
考えてから行動する。

 

なかなか難しい。
この大きく3つのタイプでいえば自分はどれに当てはまるだろう。

時と場合にもよるだろう。
でも大きく性格や傾向もその人それぞれあるだろうし。

考える前に行動する人は、とりあえずやってみる、スピード重視型。
考えてから行動する人は、用意周到、慎重派、熟考型。
考えながら行動する人は、その中間。

ただ、これだけ情報や他者の体験記録などがあふれている世の中で、
あまりにも考えるだけだと、頭でっかちやがんじがらめ、
自分がやった気になることもある。
考えたあげく、やめてしまうことも多い。

そんなことを思ってたら、いい回答が本のなかにあった。
『考える前に行動せよ。そして、行動しながらもっと考えよ。』

なるほど。
このスタンスはいいなあと思った。

思っているよりも時間は短い。
だったらまずは動いてみて、違うかな?失敗かな?考えが足りないな?と思ったら
動きながら考えて修正していく。

そのくりかえしが一見遠回りなようで、近道な場合も多い。

大きな転機でも、日常生活のなかでも、
自分にチャレンジする機会やチャンスを与える、
それを楽しめるかどうか。

“何かをやってみる、はじめてみる”ということは
それだけ時間の流れのなかで、かけがえのないことだと思う。

思っている以上に、人は「食わず嫌いな生き方」をしてしまっている。
考えるだけで行動してしない、ということ。

それは過去の経験や情報の蓄積が、歳を重ねるごとに培われてしまうからしょうがない。

そうやってその人が形成させて磨きがかかっているところもある。
でも、それで新しいものを受け入れない、躊躇してしまう、というのはもったいない。

食わず嫌いな生き方、か。
なかなかいい表現。

だからこそ!
歳を重ねることに比例して、
考える前に行動する機会を増やしたらいいんじゃないかと思う。
過去の培った経験や情報や学びは、もう十分あるでしょう、と。

『考える前に行動せよ。そして、考えながらもっと行動せよ。』
これが大人のなせる業。

 

継続は力なり

小学校4年生のときに。
3月の終業式のときに担任の先生からもらった言葉。

4年生といえば、3-4年生の2年間の担任とクラス仲間が別れるとき。
その終業式のときに、担任の先生がクラス生徒ひとりひとりに
思い思いの言葉を色紙に書いてくれて渡してくれた。

そのときに自分がもらった言葉が「継続は力なり」だった。

うっすら意味くらいはわかっていた年頃だったとは思うけれど
やっぱり年を重ねるたびにまた、この言葉の重みを感じる。

継続は力なり。

意味は、
『継続してなにかをしていけば、いつか必ず力になる。』
これが一般的。

実はもうひとつ違った角度からの意味づけがある。
それは、
『継続してなにかをするには、力が必要である。』

このふたつの意味で、はじめて「継続は力なり」とは何たるかを
完成させているように思う。

継続することの大切さと大変さ、そこから見える先の光。
わかっているけどなかなかできない「継続」。

そんなときは、上の大切さと大変さ、をもう一度かみしめてみては。
そう、なかなか継続ってできるもんじゃない。
軽くできると思ってしまうから、できなかった自分に挫折してしまう。

はじめる前に、大変さ、力が必要なことを理解していれば、
軽はずみに始めないし、腹をくくって覚悟を決めてかかるかもしれない。
そしたら、スタートダッシュして継続しやすくなるかもしれない。

このふたつの意味をならべてみて、改めてそう思う。

 

点滴岩を穿つ

「点滴岩を穿(ウガ)つ」
わずかな水のしずくも、絶えず落ちていけば、岩にも穴を開ける。

つまり、絶え間なく努力を続ければ、必ず成功への道は開ける、
という例え。
これを仕事やチームに置き換えると。
一滴一滴落ちてくる水であっても、一点にエネルギーを集中することで、
岩に穴をあけるほどの力を出す。

ブレイクスルーのためには、エネルギーを分散させてはならない。
皆のパワーを一つに束ねる。それがブレイクスルーの始まり。

いい言葉だな、と思う。

もっと関連したことを記すと。
「すべてやります」では何もできない。重点テーマを3つに絞れ。

スピードでライバルに差をつけろ。
完璧を求める100点よりも、すばしっこい80点で勝つ。

こういう考え方を前職で学ばせてもらったなと。
ふとこういう言葉や考え方を思い出す時がある。

時間が経っても、自分のなかで風化させてはいけない。

また前の職場で、前の仲間たちと一緒に仕事をするということは
おそらくこれから先ないだろうけれど、
学んだことは自分のなかで実践しつづける、
自分のなかで継承していく。

そうしている先に、また新しい何かが起こるかもしれない。