点滴岩を穿つ

「点滴岩を穿(ウガ)つ」
わずかな水のしずくも、絶えず落ちていけば、岩にも穴を開ける。

つまり、絶え間なく努力を続ければ、必ず成功への道は開ける、
という例え。
これを仕事やチームに置き換えると。
一滴一滴落ちてくる水であっても、一点にエネルギーを集中することで、
岩に穴をあけるほどの力を出す。

ブレイクスルーのためには、エネルギーを分散させてはならない。
皆のパワーを一つに束ねる。それがブレイクスルーの始まり。

いい言葉だな、と思う。

もっと関連したことを記すと。
「すべてやります」では何もできない。重点テーマを3つに絞れ。

スピードでライバルに差をつけろ。
完璧を求める100点よりも、すばしっこい80点で勝つ。

こういう考え方を前職で学ばせてもらったなと。
ふとこういう言葉や考え方を思い出す時がある。

時間が経っても、自分のなかで風化させてはいけない。

また前の職場で、前の仲間たちと一緒に仕事をするということは
おそらくこれから先ないだろうけれど、
学んだことは自分のなかで実践しつづける、
自分のなかで継承していく。

そうしている先に、また新しい何かが起こるかもしれない。

 

周りを幸せにできる人

これ個人的価値観。

周りを幸せにできる人ってどんな人だろう?
周りを幸せにしたいなら?

自分の答えは、
『自分が幸せにならないと、周りを幸せにはできない』

精神論みたいになるかもしれないけれど。
自分が満たされてないと、満たされようと思わないと、余裕がないと、
周りを幸せにしたいとかしようとか、おすそわけしたいとかは、思わないんじゃないかと。

自分はいいから、あなたは幸せになってほしいからって、
なんかピンとこないし、相手にもどう伝わるのかなって思う。

自分だけが幸せになろうなんて誰も思っていないと思う。

でも、自分はいいから、周りは幸せになってほしい、
というのもなんかおかしい。

要は、本人が、幸せであること、幸せを探求していること、
そういうプラスのエネルギーやオーラが周りを巻き込んだり惹きつけるんだと思う。

だから、自分の幸せを否定している人、探求しない人、は
おそらくあわない。

幸せの定義は置いといて、実現欲・物欲・金銭欲いろいろあるけど
『満たされる 充実感を感じる』とか、気持ち的な幸せのことから。

個人的には、
最終的には、身近な・大切な人たちが幸せになってほしいから。

誤解を恐れずに言えば
まずは自分が幸せになりたい。そして、周りと一緒に幸せになりたい。

そう思う。
そういう順序というか流れなんじゃないかなあ、と思う。

あっ、別になにかがあったわけじゃないし、
誰かを想定して非難とかじゃない。

ただ、
『自分が幸せにならないと、周りを幸せにはできない』という考え方は
やっぱそうだよなあ、と。

家族・子供・恋人・友人。
大切にしたいなら、自分も大切にしないと。
守りたいなら、まずは自分の身を守れないと。
それと同じだと思う。

自己犠牲からの他者愛じゃなくて、自己実現からの他者愛。
あっ、いいこと書いた。

「みんなを幸せにしたいから、オレ幸せになるね。」
なんか清々しくでいいじゃん!かっこいいやん!
そんな感じ。

ここでやめようと思ったけど。
ちょっと深イイ話。

ちょっと深く読み込むと・・・
自分だけの幸せを求めるなら、甘えるときも投げ出すときもある。
自分が幸せにならないだけだ、誰も困らないしって。

でも、その先の周りの幸せを延長線上に想っている人は
やっぱりふんばるし、こだわるし、達成しようと、
自分がまずは幸せにならないとと思うわけです。

だから甘えないし、投げ出さないし、
自己実現からの他者愛に発展できる。

そう思うと、自分と周りの幸せって、点と点じゃなくて線でつながってる。
ってことかあ、なるほど。(と書きながら思う)

邪心なく、純粋な心で「幸せになりたい!」と声を大にして言える人に、
サウイフモノニ ワタシハナリタイ。

毎日が人生の分岐点

人生は、毎日の選択の結果。
今日また、何を選択するかで、未来が変わっていく。
目指すことを変えれば、選ぶ基準が変わり、
そのときから、それまでとは違う人生がはじまる。
いつでも新しい人生をはじめることができる。
今日も分岐点。
さて、何を目指そうか。

 

この言葉たちの印象がずっと鮮明に残っていた。

ターニングポイントという言葉もある。
「人生のターニングポイント」

それは進学、就職、結婚などなど、
人生における一大イベントのようなもの。
もちろんそれも大きな選択だし、分岐点。

毎日が選択の連続だとすると、毎日が分岐点、になる。
そのニュアンスがとても気に入っている。

 

たとえば、日常生活でも、
今日のランチはなににしようか? でもいい。
いつもと同じ近くのコンビニで買い物するか? 何を買うか?
これも選択のひとつ。

同じコンビニでも、自分の定番ランチを買うときもあれば、
ちょっと違うたまたま見つけた新商品を試してみる選択もある。
そしたら、その話題でどこかでの会話が弾むかもしれない。
その商品を選んでいなければ、なかった会話と共有が。

そういう意味で、毎日が人生の分岐点。
大なり小なり、意識的であれ無意識的であれ、
みんないつも選択の連続。

自分が無意識にせよ選んでいる選択が、
その人の人生をつくりあげている。
それによって、新しい発見、新しい出会い、新しい視点、その連続。

強引な言い方をすれば、必然的に、自覚症状がないにしても、
みんな自分の手で未来をつくっていると言っていい。
どんな未来かはその人次第。

 

毎日、大通りでも路地裏でも、
何十回何百回と交差点の前に立っていると思うとわかりやすい。

さて、ここを右に曲がるか、左か、真っ直ぐか、それとも引き返すか。
自ら選択して進んでいる。
ゴールは同じ場所のときもあるけど、その行き方、過程はたくさんある。

毎日が人生の分岐点。
最後の言葉もいい。
「今日も分岐点。さて何を目指そうか。」

ブログ101回目にして、
新しいスタート地点、いや分岐点という気持ちで。

 

希望に目覚め、愉快に働き、感謝に眠る。

青空を背景に、本の1ページに書かれていた一文。
『希望に目覚め、愉快に働き、感謝に眠る』
昔手帳にはさんでいた。

こういう一日一日でありたい。
こういう一生でありたい。

おだやかな春が近づき、青空が増えたこの頃思い出した。
そして新年度でもあるこの季節に。

ここに『希望に目覚め、愉快に働き、感謝に眠る』という一文だけが
書かれている本と、そのページがあった。
なんかいいなあ、と思って、それを手帳にはさんでいた。

忙しい毎日に、ストレスがたまる毎日に、時間に追われる毎日に、
ふと立ち止まってひと息入れたくて、はさんで眺めていたのかなあ。

毎日新しい一日を希望に目覚める。
そして楽しく愉快に仕事をする。
一日のいろんなことに感謝して眠る。

どのフレーズもとても気に入っている。

「風林火山」 孫子と信玄と仕事

『風林火山』
武田信玄の軍旗でも有名なこの言葉。
もともとは「孫子の兵法」の孫子の言葉。

武田信玄
疾(ト)きこと風の如く、静かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如く。

これを仕事に置き換えたら。

情報を風のように素早く集め
分析を林のように静かに落ち着いて行い
機動力を火のように激しく勢い保ち
信念は山のようにどっしり構えて動じない

なかなかうまいこと言うなと思った。
なんかに書いてあってその解釈と表現が気に入った。