キャッシュポイントと車輪

キャッシュポイントを増やすことは重要だ。
よく言われること。

キャッシュポイントとは、つまり収益源や販路のこと。

ひとつの収益源だけでは、何かが起こった時に・・・となるけれど、
複数の収益源を持つこと、広げることで安定する。

通販をやるにしても、例えばヤフオクはひとつの収益源。

こればかりに依存すると、
何かが起こった時やルール変更になったときにすべてが崩れてしまう。

だから、販路(販売先)として、Amazonや楽天、ネットショップなど
複数のキャッシュポイントを持ったほうがもちろん継続的に安定する。
あとは人と時間と労力からの費用対効果の問題である。

これを例えるなら、車輪。

ひとつの車輪を、ひとつのキャッシュポイントとするならば、
一輪車を乗りこなすこともすごいけれど(技術や能力として)、
それよりも車輪を増やして、二輪車・三輪車・四輪車としていったほうが
より安定的に回転するし、地面に触れる面や、負荷が分散されることで、安定する。

つまり、車輪をキャッシュポイントにみたてると、こういう例えになる。

超絶なバランス感覚が要求される一輪車よりも、
継続して安定して長い距離を走っていける四輪車のほうがいい。
もし、車輪のひとつがパンクしたとして。
一輪車なら、もうそこからは走れません。
それ以外の二輪車・三輪車・四輪車なら、なんとか当面は走れる。

止まっていないということは、キャッシュポイントがどこかは生きている、
つまり収入はゼロにはならない、ということ。

そんな例え話を組み立てながら、
キャッシュポイントを複数持つことの重要性、
つまりはキーポイントとして『継続と安定』ということを、
自分の現状と今後の課題ということもふまえて、考えてみたりしている。

 

経験のものさし

プロ将棋棋士の羽生善治さんの本にこんなことが書いてあった。

『不調を乗り越えるための「経験のものさし」』
経験のものさしとは、何かをマスターするためにかかった時間の定規。

勉強・語学・受験・スポーツ・楽器・免許・資格・仕事内容など、
「自分は◯◯を習得するのに◯◯時間(日/年etc)かかった」
時間と労力と情熱を注いだらこのくらいのことができるようになった、
という自分自身の学びや経験からくるものさしがある、と。

それがあるから、
何か新しいことにチャレンジしようとしたときに、
何かうまくいかないときに、
その時間や労力や情熱への不安に耐えられるようになる。

「経験のものさし」が焦らずに進んでいくための武器になる。
「経験のものさし」が努力の見込み、
つまり成果が出るようになるまでに必要な努力の量と質を見極める力を自分に与えてくれる。

「経験のものさし」の種類が豊富であればあるほど、
自信をもって進むことができる。

とてもいい導きの言葉だと思う。

 

誰しも生きてきた年数と時間だけ、経験してきた量と質だけ、
「経験のものさし」が蓄積されている。
ない人は、いない。

年齢を重ねるごとに、これを磨くことによって、
瞬間的な焦りや不安は払拭できていく、
ようになるんだと思う。

自分に置き換えてもそうだし、
周りの若い人を見渡してもそうかもしれないが
若い頃に一見安易な無謀な目標を立てたり、
焦りや不安が多く悩んでしまうのは、
この「経験のものさし」を持ち合わせていないか、まだ少ないか。

もし、自分の経験のものさしがわからない、という人は、
生まれてからこれまでの、自分年表をおさらいしてみる。

今◯◯が当たり前のようにできるのも、
今◯◯をした経験が生きているのも、
こんなことではへこたれないよ、◯◯に比べたら・・・と思えるのも、

自分年表を紐解いたなかに、
その“◯◯”という「経験のものさし」があったから。

何か長期的な目標を立てようとしたとき、
今やっていることが途方もない過程なとき、
「いやいや、◯◯もこれだけの時間がかかったじゃないか!」
何事もすぐに成果を出せてしまう特効薬なんてない。

 

こういう手法と考え方をうまく使って、

自分に自信をつけることができる
自分を承認することができる
今立ちはだかる壁に立ち向かおうとすることができる
他人が壁に当たっているときに、自分の「経験のものさし」から理解してあげることができる
他人が壁に当たっているときに、自分の「経験のものさし」の体験談により励ますことができる

などなど。

種類も長さも豊富な、
自分ならではの「経験のものさし」をつくっていこう。

 

情報メタボ

情報が溢れる現代社会。
情報メタボにはなりたくない、というお話。

日常生活において、過度の必要以上の食料栄養分をとれば
メタボとなってしまいます。

自分の意思と関係なく食べないといけない機会もあるでしょう。
つい今日は食べ過ぎてしまった。勧められたから。飲み会だったから。
いらないんだけど、そこまで欲してしない自分がいるんだけど、
なぜか口に運んでしまう。

もしくは、
自分のキャパや体の許容範囲をわかっていない、なんて場合もある。

わかってはいるんだけれど、蓄積される一方で、発散できていない、
なんて場合も。

その結果がメタボ。

 

情報も同じです。
与えられる、勝手に入ってきてしまう、すぐ手に取れてしまう、
そんな情報をつまみ食いばっかりしていたら・・・?

今必要じゃないんだけど、いつか必要になるかも、蓄積。
頭のキャパを超えそうなんだけど、蓄積。
そもそも情報なんて多いなら多いに越したことはない、蓄積。

そして、使いたい時に使えなくなる、身動きができないくらい重くなる、
キャパオーバー。

その結果が情報メタボ。

 

だから、インプットとアウトプットの話。

食べ物も、生きるために必要。
つまり、エネルギーとして発散するというアウトプットのために、
食べるというインプット。
アウトプットを前提としたインプット、なわけです。本来は。

情報も、何かに使うために必要。
つまり、何かに使う想定というアウトプットのために、
情報を得るというインプット。
アウトプットを前提としたインプット、なわけです。こちらも。

なかなかわかりやすい、メタボつながりではないですか?
(と自分は思っている)

 

極論ですよ。
カラカラに喉が渇いた時の、目の前に見つけた水1杯の喜び。
それを飲んだ時の快感。
これ状況的にも、いつもの水とは違いますよね。

その水1杯だけで、どれだけのエネルギーになりますか、体も心も。

情報も同じです。
欲していた情報に出会えたときの喜び。
それを吸収したときの快感。

その情報1つだけで、どれだけの効果的なアウトプットができることか。

 

食べ物も情報も、そこに価値を与えるのは自分自身、
ということになりますね。

タダの水でも、高級料理でも、その時に美味しいと至福を味わうのも、
無料の情報でも、高額な情報でも、
その時に知ってよかったと至福を味わうのも、
その時の自分自身の体と心の状態に左右されてしまう、ということ。

もし、食べ物も情報も浴びるように摂取したときには、
とりあえず、まずはそれをエネルギーとして発散させるとことから。

そうやって自分の体も頭も心も、
どのくらいが健康状態なのかを知っていく。

情報計とかあったらおもしろいのに。
あっ、体重計で自分の体重を量るのに、かけてるだけです。はい。

常に空腹なくらいがちょうどいい。
常に食べる時は腹八分くらいがちょうどいい。

これってフットワークを軽くしたり、
いつもいい意味で「余白」をつくっておく、ということ。

くどいですが!

情報も同じですね。

もうこれ以上は、置き換えて書きません。
文字数メタボになっちゃいますからーっ、残念。

 

読書:「直感力」 羽生善治

プロ将棋棋士の羽生善治さんの本。

過去の『大局観』『決断力』という本もおもしろい。
今回は『直感力』という視点から、将棋の世界にとどまらない良書。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
直感とは何もないところから湧き出てくるものではない。
考えて考えて模索した経験を蓄積したプロセスのなかから
瞬間的であれ取捨選択からうまれた論理的思考。
だからなぜそれを選んだのかを説明できるものである。

直感を磨くとは、日々の生活のうちにさまざまのことを経験しながら、
多様な価値観をもち、幅広い選択を現実的に可能にすること。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

野球選手でもサッカー選手でもそうだけれど
とある世界のプロや一流と言われる人たちが書いた本は、奥が深い。

それまでその人が経験してきた、
一言で言ってしまっては失礼になるかもしれないが、
いろんな苦労や挫折、そこから這い上がってきた過程、
よりもっとと高みを目指す志、
そういうものが言葉の血肉となって表現されている。

だから、その世界に自分が精通していようとそうでなかろうと
いろんな人の心に響く言葉になるんだろう、と思う。

ビジネス書や自己啓発本に書かれている普遍的なことが
リアルな実体験をもとに書かれていることも多い。

もちろん本著も将棋の世界を中心に書かれているけれど
「将棋の世界だけの話ね」とは決して思わない叡智と説得力がある。

もし、いきなり小難しいビジネス書には手を出しにくいという人がいたら
自分の好きな著名人や選手、好きな世界の人が書いた本を
手にとって読んでみるといいかもしれない。

親近感や好意的な思いからか、案外すーっと入ってくるかもしれない。
そしてとっておきのエピソードに出会えるかもしれない。

小学校の頃は、将棋していたんだけどなあ。
将棋崩しのほうが得意だったけど!?

あれはあれで結構燃えて遊んだものです。
ほんの少しの集中力と負けん気は鍛わるかと思います。

 

成長期と成功期

成長曲線とは?
一般的にはグラフで右肩あがりな曲線もしくは直線で表される。

でもその線をよーく見てみると。
直線と思ったその線は、階段上のギザギザな線になっている。

つまりスムーズな直線や曲線で上昇しているのではなく
紆余曲折を経て、一つ一つ階段を登っているようなもの。

これが実態としての成長曲線。

 

成長期と成功期。
成長期とはインプットやアウトプットをしながら、学ぶ期間、つまり成果。
成功期とはその過程やプロセスが花開く期間、つまり結果。

だからひとりひとりの成長曲線は違う。

人によっては、急な段差の階段をかけ上げる人もいる。
人によっては、小さな歩幅で一歩一歩確実に登る人もいる。
人によっては、勢いで2段上がりする人もいるかもしれない。

長い階段には踊り場がつきもの。

人によっては、途中の踊り場が広い、
つまり踊り場の期間が長い人がいる。

この平らな面こそが、休息期でもあるが、次の成功期への成長期。
成功への学びの蓄積期間であるということ。

楽器やスポーツでも、練習を繰り返して、
ある日突然そこをクリアすることがある。

練習を繰り返している期間が成長期、
できるようになって発揮している期間が成功期。

この成長曲線の話と成長期・成功期という考え方を本で知った時は
なんか背中を押された気分というか、大丈夫だよ、と言ってもらえた気分だった。

だから、誰しも成功期よりも成長期のほうが、
確実に時間は長いのです。

たとえ停滞していても、止まっていて、そこの踊り場が長くても、
その分だけ助走をつけて次の一歩を大きく踏み出せる場所、
ということ。

成長も成功もくすぶっているな、という感情に陥ったときには、
このように、「成長」と「成功」を分けて考えてみてください。

なにか自分のなかに手応えや自分への承認
次へのエネルギーが芽生えるかもしれません。

成長曲線とは、一直線な軌道ではなく、実は階段状だった。

成長期と成功期