がむしゃらに生きてみようと思う。

「がむしゃらに生きてみようと思う。」
ふとそんなことを思う。

【がむしゃらに生きる】でも
【がむしゃらに生きたい】でも
【がむしゃらに生きてみたい】でもなく

「がむしゃらに生きてみようと思う。」
この表現が今の僕にはしっくりくる。

断定でも覚悟でもなく、願望や憧れだけにも終わらず、
足先の軽い未来進行形。

そんな心境の言葉選び。

なんでもやります!好きなことも我慢して!嫌なことでも!・・・
そういうことじゃないんです。

未来から見て、今好きなことやりたいことがあるなら、やれるなら、
そこには甘えや妥協はNG、迷いを振りきって突き進もうよ、と。

いつまで生きるかなんて約束されてないし、
今使えてる時間や環境がこれからも永遠続くなんて限らない。

だったら!ということです。
「がむしゃらに生きてみようと思う。」という心境は。

好きなことやって生きていったほうがいいよ、とかそんなことを
安易に軽く言うつもりも、勧めるつもりもないんですね。

もし、
今夢中にがむしゃらにやりたいことがある
それをやれる時間や環境をつくることができる
そこからワクワクする未来がイメージできる

もしそうなら、
そんな人ってそれだけで十分恵まれてますよね。
それならあとはがむしゃらに突き進んだらいいじゃないか、と。

仕事でも趣味でもなんでもいいと思うんですよね。
期間限定でもいいとも思うんです。

大人になった今だからこそ「がむしゃらにやる」ってカッコイイ。
甘えも言い訳も守りも体裁も全部抜きにして、
壁にぶち当たっても砕け散ってもやる、みたいな。

そんなことを言いながら、
一生そうやって生きていく、という決意や覚悟も、今の僕にはありません。

ダメダメですね、弱いですね。 苦笑

でもだからって、一生分の覚悟がないからと、
今に手を抜く必要もなければ、今を中途半端にすのももったいない。

だから。
ちょっと中長期的に、前向きに、楽観的に、
『がむしゃらに生きてみようと思う。』
どこかで振り返ったときに、すがすがしい自分に出会えるように。