5年後の未来、1年後の未来、明日の未来

日常生活のなかで
突然不安に襲われることは誰しもある。

今やっていることへの不安。
これからどうなるかへの不安。

やりたいと思っていること
やらなければいけないこと

いまだにやれていない
いまだに手を付けれていない
いまだに到達レベルにいけていない

仕事でもプライベートでも。

 

不安や焦りだけがつのる瞬間。

動いていないゆえに起こる不安ならば
そこはまず動くしかない。

動き出すことで不安は解消され
モヤモヤが晴れることはたくさんある。

 

動いている最中で、行く先への不安。

これが厄介だ。

 

ひとつの考え方に、
「3年後や5年後という長期スパンで見据える」

今できていなくても、
3-5年後にはできている可能性は十分にある。

それだけ時間をかけた継続的努力を
つづけることができれば。

3年後、5年後の未来イメージから逆算で
目標や計画を立てる。

そこへ向けて進みつづける。

噛み砕いていえば、
今できていなくても3-5年後クリアしていれば
御の字じゃないか!という楽観的プラス思考。

達成したい思いはわかるので、
いつまでに? というところが大切なことろ。

その不安は今すぐに解消されたいのか?
5年後に解消されていればOKなのか?

どの時点でマルとなっていれば自分が満たされるのか
もう一度深呼吸して考えてみる。

すると、今怒涛のように押し寄せる不安たちが、
穏やかに静まることもある。

5年後に笑っていられるならいいじゃないか、と。

 

ひとつの考え方に、
「1年後という少し先のスパンで見据える」

3年後や5年後だとイメージしずらいこともある。

1年後であれば、もう少し具体的にできる。
実現可能性のある目標や計画、達成イメージ。

それを毎年くり返して、3-5回積み重ねる。
するとおのずと3年後、5年後にある。

デメリットとしては、
3-5年後という長期スパンではないため
飛躍的な目標や発想がしずらい。

どうしても現実味をおびたものになる。

逆にメリットとしては、
地に足がついた目標ということになる。

突飛なものではないので、
それだけ達成確率も高くなってくる。

また5年後のことなら「5年の間にいつか」など
悠長に構えてしまうところもあるが

1年後なら、「1年間なんてあっという間だから」と
切羽つまって行動をかきたてられる。

1年に1回、
なにかひとつのことを達成、一歩成長することは、
5年後には5つの達成、成長になる。

これは大きい。

ひとつのことを深く掘り下げても5レベルアップ。
それぞれの目標を毎年クリアしても5レベルアップ。

広く、深く、どちらにせよ今よりも5レベルアップ。

 

要は目標や計画、総じて自己実現欲求を、
どの未来スパンで見据えて、日々臨むかということ。

目標も計画も、なりたい自分も、
緩急をつけて考え行動していかないと、
継続的実践はつづかない。

雲をつかむような、
おぼろげな不安、ふわっとした将来のこと。

そこには、こういった考え方をすることで、
一気に視界が開けることもある。

今考えてもしょうがない不安
今考えても飛び級できない未来

そんな焦りから解放されて、
「さっ、今自分にできることは!」と気持ちを切り替える。

 

5年後の大きな未来を明るくイメージして、
1年後の手ごたえのある未来へと突き進む。

それを胸に掲げていながら・・・
今日の小さな目標をやらない。

明日の未来がわかっていながら、
手を付けない、先延ばしにしてしまう。

 

5年後のことなら”want”や”wish”といった
希望的な夢リストでいいけれど、

今日のことや明日のことなら、
それは間違いなく”To Do”リストに置き換わっている。

つまり
“やらなければいけないこと”
”必ずやること”

そこからしか、1年後へ5年後の変化は生まれない。

だから今日も精一杯がんばる!

 

才能を見つけるチャンス ~頼まれ事~

人からよく頼まれる事があると思う。

「料理をつくってほしい」
「パソコンの修理をみてほしい」
「飲み会の幹事をしてほしい」 etc…

なんで自分に?と思うことも、
なぜか同じようなことをよく頼まれる。

それは才能を見つけるチャンスかもしれない。

 

出来もしないだろうことを、期待していないことを、
人は頼んだりしない。

つまり、本人が気づいていないだけで、
周りからは認められている、期待されているコト。

それが頼まれ事の内容=その人の才能 となる。

 

「あなたならきっとうまくできる」

周りの人は、その人に何ができて、何ができないか、
観察している。

何が得意で、何が不得意で。
それを承知のうえで、あなたに頼み事をする。

つまり『あなたの才能の種』を周りの人たちは知っている。

 

  • 自分がよく頼まれることってなんだろう?
  • 頼りにされていることってなんだろう?

そこに自分の長所や才能を見つけるヒントが
あるかもしれない。

 

もし頼まれたことが無謀じゃない限り、
なるべく引き受けるようにする。

そこにまた新しいチャンスが生まれるかもしれない。

 

これまでの人生で、
頼まれたことを整理して思い出していくことで、

自分では気づいていなかった才能を発見できる。
それを自信をもって受け入れることが大切。

 

たまたま頼みやすいからじゃないかな・・・
たまたま頼める人がいなかったからじゃないかな・・・

そんな悲観的なことを言っていてもしょうがない。

毎回たまたまの連続なんて発生しない。

もし何らかの傾向や統計結果が見えてきたら、
やはりそこには「あなたの才能」が隠れている。

仕事で頼まれること、
プライベートで頼まれること、

どちらも人生をもっと豊かにできるヒントがある。

 

「休む」ということ

「休む」という字をながめてみる。

ふたつの意味づけができそうだ。

ひとつは、
「人」が「木」にもたれかかる。

いい情景だなと思う。

しっかりと地面に腰をおろして、
一本の大樹に静かにもたれかかる。

覆い茂った緑葉たちが、風に吹かれて、
木洩れ陽が温かくさしこみ包む。

 

もうひとつは、
「人」が「木」になる。

木のごとくじっと動かない。
立ち止まる。

しっかりと地面に根をはり巡らせて、
エネルギーを吸い上げる。

葉っぱを広げて、
太陽の光をまぶしく浴びる。

風に揺られて、
汚れを吹きさらってもらう。

両手を大きく広げて、
空を見上げるように。

 

どちらも「休む」、「休息」のイメージにぴったりだ。

そんな言葉遊びで “ほっ!” としてみる。

Have a break ?

サラリーマンは塩男

「サラリーマン」の語源の由来。

 

サラリーマンの語源は、
英語「salaried man」に由来し、
これが和製英語化してサラリーマンとなった。

サラリーマンの「サラリー(salary)」は、
「サラリウム(salarium)」という「塩」を意味する
ラテン語が由来である。

古代ローマ時代市民が給与で国に雇われていた。

当時は塩が貴重な物であったため、
兵士に給料として支払われていた。 

「salarium」の「sal」は「塩」を意味する
英語「salt(ソルト)」の語源ともなっている。

サラリーマンという語が使われ始めたのは大正時代頃からで、
事務労働の給料生活者をさすことが多かった。

 

サラリーマンとは、”お給料をもらう人”からきている。

知らなかった。
ちょっとした雑学になった。

 

ちなみに「アルバイト」という言葉は、
「Arbeit」という「仕事、強制労働、業績、研究の意」を意味する
ドイツ語が由来となっている。

英語で「アルバイト」をさす言葉は、”Part-time job”。

 

さらに掘り下げる。

「仕事はなんですか?」と聞かれて、
日本人の回答で最も多いのは、

  • サラリーマンです
  • ◯◯という会社で働いています

おそらくだいたいこんなところ。
そして名刺もふくめて肩書を重んじる。

 

一方、欧米では、
「仕事はなんですか?」と聞かれて、

  • デザイナーです
  • 営業マンです

自分が携わっている仕事内容や
技能、能力をふくめた「職業」を具体的に答える。

 

ひと言で言ってしまえば、文化の違いではあるけれど、
間違っても「会社名」を名乗る欧米人はほぼいない。

これって不思議。

 

面接でも人事でもコンパでも、
肩書や会社名を重んじる風習の蔓延した日本。

いかに会社という看板に守られている気質が
日本人の本能として培われていることか。

「サラリーマンです」と答えるということは、
「私は給料をもらっている人です」と言っているわけで。

 

もっと言えば
「◯◯という会社で◯◯(役職)をしています」なんて言う。

実際自分も言った経験はもちろんある。

その回答のどこにも「職業・具体的仕事内容」はなく、
聞いた人はわからない。

「具体的にはどんなことしてるの?」
というお決まりの流れ。

でも枕詞として、最初に肩書がいるのである。

 

そんな辛口はこのくらいにして。
サラリーマンを批判するつもりもないので。

 

さらに掘り下げる。

最後に、「塩」にまつわる慣用句を調べてみた。
たくさんある。

今回の話に関連しそうなものを選んでみる。

  • 味噌に入れた塩
  • 塩を踏む
  • 塩なめてこい

 

言葉だけを見ても、まったくその意味がわからない。

「味噌に入れた塩」
他人のために尽くせば必ず元に戻る、損はしない

「塩を踏む」
苦労して一人前になる

「塩なめてこい」
苦労して一人前になれ

 

昔の人は本当に良いことを言う。
サラリーの語源を知ってか知らずか。

 

《味噌に入れた塩》精神で、《塩踏んで》!《塩なめて》!
堂々と対価である「サラリー」をもらったらいい。

そんな思う。

 

プラスは大きい数字、マイナスは小さい数字

随分前に教えてもらった数字を使ったトリック。
プレゼンや仕事の報告などに使える小技。

プラスな事は大きい数字でアピールする。
達成 成果 結果 etc…

マイナスな事は小さい数字でアピールする。
問題 etc…

 

《プラス編》

たとえば、
上司「今月の売上はどのくらい?」と聞かれたとき。

 

回答A.「今月売上1000万円に届きそうな勢いです。」

上司「そうか!それはすごいな!」

回答B.「一日あたり売上30万円くらいはキープしています。」

上司「だいたいそのくらいか。」

 

どちらも数字の事実はしては同じ。
明らかにインパクトとしてA.のほうが印象が強い。

 

《マイナス編》

たとえば、
上司「今月のクレームはどのくらい?」と聞かれたとき。

 

回答A.「今月50件ちかくあります。」

上司「そんなにあるのか!それは大きな問題だ!」

回答B.「一日あたり1-2件あるかないか程度です。」

上司「その程度か。」

 

こちらも数字の事実としては同じ。
明らかに回答B.のほうが問題スケールを分散している。
逆に回答A.は大きなインパクトを与えてしまい一大事。

 

もちろん聴き手が、
どんな数字の回答をされたにせよ、
その数字の分析力を持っていれば、

おのずと事実の捉え方は結論同じになる。

ただしファーストインプレッション、
与える第一印象としては大きく変わってくる。

 

意外に使えるプレゼンや報告事のテクニック。
数字のマジック。

かずにゃ~にゃっ!