絵と演奏と言葉と表現

人は同じものを見ていても、

それがどう見えているかは人それぞれ違うという。

自分が見たいように見ているとも言えると思う。



音楽もそうで

同じものを聴いていても

それがどう聴こえているかは人それぞれ違う。

自分が聴きたいように聴いていると思う。



もし、それを証明できる方法があるとしたら、

そのひとつは「絵」だし「演奏」になる。



同じ景色や人物を描いても

まったく違うものが出来上がる。

そこには見え方のほかに技術や能力も左右はする。

”こう描きたい”個性や思いも加味される。


同じ曲を演奏しても

まったく違うニュアンスになる。

そこには聴こえ方のほかに技術や能力も左右はする。

”こう弾きたい”個性や思いも加味される。



もっと広げたら

同じ出来事や現象が起こったときに

その捉え方や解釈、受け止め方や考え方は異なる。

その証明が「表現」ということになる。



やっぱり

伝えないとわからない

言葉にしないとわからない

表現しないと理解も共感も異なる価値観も生まれない。



PS

なんでこんなことを思ったかって

ふとラン・ランの演奏を聴いたから。

彼の弾く「アラベスク第1番」は好みじゃなかった。

そこにラン・ランはいたけどドビュッシーはいなかった。

ラン・ランあるあるなんだけど。

だからこそ強烈な個性を持ったピアニストという称賛にもなる。