大事なものは、たいていめんどくさい

先日のNHKプロフェッショナル 宮崎駿スペシャルにて。

印象的だったシーン。

「面倒くさい」「究極に面倒くさい」とブツブツ言いながら
机に向かって絵コンテを描いている。

そのとき宮崎駿監督は
「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ」と一言。

続けて
「面倒くさかったら、やめればいいのに?」と言われれば
「うるせえな」とか、そういうことになる。

そして核心の言葉へ。
「世の中の大事なものは、たいてい面倒くさい」
「面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいと思うんです。」

 

もうちょっと関連めいたシーンを抜き出すと、こうも言っている。
「やっているときはその意味なんてわからない。」
「意味をわかってやっているわけではない。」

 

つまりは、日々の生活のなかの大切なことは、面倒くさいことが多く、
そのなかには慈しむもの愛おしいものがたくさんつまっている。

そして、そのときにはその意味なんてわからなくても、
匙を投げることなく向き合っていくこと。

面倒くさいことはかけがえのない幸せなこと。
そうやって日々の面倒くさいことに濃厚に生きていく。
その先にその意味がついてくる未来が待っている。

要領よく。 スマートに。 効率的に。 最大効果で。
傷つかずに。 疲れずに。 苦しむことなく。 楽して。
失敗せずに。 損せずに。 etc…

誰もが得てして望まない、出来れば避けたいことだけれど、
でも、それを恐れてばかりいずに、進むしかない。

面倒くさいことが愛おしい。
面倒くさいことが生きている証。

そういうことなのかなあと解釈。

 

最後の宮崎駿監督の言葉もまた勇気づけられる。
「堪る限りの力を尽くして生きる」
「自分たちに与えられた、自分たちの範囲で、自分たちの時代に、堪る限りの力を尽くして生きなさい」

 

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