活字離れならぬ音読離れ

最近思うことがある。

「活字離れ」と言われて随分たつ現代社会。
新聞、本など活字を読まなくなっていると。

第一の疑問に、
ネットで閲覧するのは「活字」に入らないのか。

若者の活字離れ、なんて言われた場合、
いやむしろ若者のほうが活字に触れていることになる。
インターネットを含めると。

 

その含める含めないのジャッジは置いといて。

最近思うことがある。

「活字離れ」よりももしろ「音読離れ」のほうが
ヒドイんじゃないかと。

”言い間違い”が多い。

 

エピソード1

昔携帯電話が普及しはじめたた頃、
『待受画面(まちうけがめん)』のことを、
かたくなに【たいじゅがめん】という人がいた。

違うよと訂正しても、「いや、たいじゅ!」と言い張る。

さらには周りにもそう言っている人いるとか言い出す。
その人も間違ってるんじゃない?と諭すと、

「いや、たいじゅ派!」とか手に負えない。

はっ?! 派??

そもそも派閥でも多数決でもないし。
勝負はやる前からついてますからー、残念。

 

エピソード2

会話のなかで全日空の話になったとき、
『ANA(あな)』と言ったら、
「アナとか言わないよ、【エーエヌエー】でしょ。」と

軽く失笑されながら指摘された。

その場には複数人いたので、
「アナって言うよ」と多数決で事なきを得た。

【エーエヌエー】って言うなら、
『JAL(じゃる)』のことも【ジェイエーエル】って言えよ、

と心のなかで失笑してあげた。

 

エピソード3

TVで芸能人が映画の感想を聞かれて、
「【がりょく】がすごいんです!ん?【がりき】?」
とか言ったりしている。

どう考えても『画力(えぢから)』でしょ。 笑

 

エピソード4

これ自分。

植物の葉には緑の周りに白い模様が入ったりする種類がある。
これを『斑入り(ふいり)』という。

そのことは知って理解していたのだけれど、
学んだ元が書籍やインターネットだった。

そしてガーデンショップに訪れた際、
「◯◯という植物の【はんいり】ってありますか?」と。

すかさず店員さんに、
「『斑入り(ふいり)』はですね、~。」と
さりげなく優しく訂正されてしまった。

恥ずかしい。

 

 

ね、活字離れよりも音読離れ。

つまりは、
活字や文字で、そのイメージや意味はやんわり理解している。

『画力』にしても漢字を眺めて、文章の前後で、
なんとなく雰囲気で意味はつかめている。

でも、”音”でその読み方を聞いていないから、
言い間違う。

 

『斑入り』にしても、単純に漢字の【班】に似ていて、
漢字も細部(部首・つくり)よりも全体のイメージ像で捉える。

わからない漢字を聞かれたときに、
「だいたいこんな感じ」と絵を描くように、
漢字のわかる断片をスケッチするように。

 

「活字離れ」(新聞・本)、「音読離れ」(TV・ラジオ)、
どちらもということかもしれない。

活字から離れると、漢字の読み書きができない。
難しい漢字を見ても、読み方と意味がわからない。

音読から離れても、漢字の読み書きができない。
音で聞いても、漢字へなおせず意味がわからない。

 

もどかしい。

そもそも本来の「活字離れ」とは、
上に書いたような、語学力・ボキャブラリーの先にある、

文章を読んでの読解力・理解力・分析力などの力が
衰えてしまうということではないか、と思う。

単純に読める・書けるではなく。

 

一昔前は、パソコンの登場で、
どんな漢字も正確に変換してくれるようになった。

そして今は、もっと進化して、
一文字・二文字入力するだけで、予測変換までしてくれる。

 

英語を学ぶこともそうだし、
勉強で記憶力を鍛えるときもそう。

必ず『声に出して読む』ことは基本であり大切なこと。

個人的には「活字離れ」ではないほうだけれど、
これからは本やネットで読めない漢字があった時は、

漢字の見た目、文脈といった雰囲気で理解せようとせずに、
なるべくその言葉の正しい『読み方』を調べよう。

 

さ、ここでまたつまずくのが・・・
字が読めないから調べたいんだけど・・・

読み方がわからないわけだから・・・
検索窓にどんな言葉を入力したらいいのか・・・
ひらがな・・近い言葉・・音読み・・訓読み・・似た言葉・・

堂々巡りだ。

 

正確に言うと、今回の話は、
”言い間違い”ではなく、”覚え違い”のほうが正しい。

言い間違いでいうと
糸井重里さんのこの『言いまつがい』シリーズが
最高におもしろい。

言いまつがい

活字で笑えるなんて、そうそうない。

「空耳アワー」の世界。

日常生活のオチャメでユーモアある、
言い間違いのオンパレード。